今思い返せば、なんて豪華な決勝戦だったのだろう。私がアマ野球担当になって初めての甲子園は、17年第89回のセンバツだった。4月1日の決勝は、履正社-大阪桐蔭。私学の雄の対戦は、史上初の決勝での大阪対決として注目された。

 
 

それだけではない。のちの「ドラ1」が3人も出場していたのだ。履正社には、同年ロッテドラフト1位で指名された安田尚憲内野手。大阪桐蔭には翌18年中日1位の根尾昂内野手と、ロッテ1位の藤原恭大外野手がいた。まさに3つの才能が競演した一戦だった。

17年4月、履正社との決勝で6回に右越え本塁打を放つ大阪桐蔭・藤原
17年4月、履正社との決勝で6回に右越え本塁打を放つ大阪桐蔭・藤原

試合は鮮やかな先頭打者弾で幕を開けた。1番藤原が右翼スタンドへいきなり放り込む。6回にもソロ本塁打を放ち、2年生では初の春夏決勝2本塁打の偉業となった。途中出場した根尾は9回に登板し無失点。初めての甲子園出場とは思えないほど、落ち着いたマウンドさばきで、熱い試合の最後を締めた。

履正社を破って優勝を決める大阪桐蔭・根尾(左)
履正社を破って優勝を決める大阪桐蔭・根尾(左)

藤原の実力は折り紙付きだったが、当時の話題を集めていたのは投打「二刀流」の根尾だった。あの決勝戦は、藤原を名実ともに甲子園のスターへ押し上げた瞬間だったかもしれない。2人をはじめ「最強世代」と呼ばれた大阪桐蔭は、ここから春連覇、そして史上初の2度目の春夏連覇へと突き進んでいく。

もう1人のスター、履正社・安田の前には、その大阪桐蔭が最後まで立ちはだかることになる。決勝では3点を追う8回、自らの安打から3連打し同点に追いついたが、あと1点が遠かった。一夜明けた静かな宿舎。数人の記者に囲まれた安田は、どこか穏やかな表情だった。「負けはしたけど、楽しかった」。最高のライバルの存在を認めているかのようだった。

大阪桐蔭との決勝の8回、生還してナインとタッチを交わす履正社・安田
大阪桐蔭との決勝の8回、生還してナインとタッチを交わす履正社・安田

同年夏の大阪大会準決勝、3人のスターは再び顔を合わせた。中盤までリードしていたのは履正社。しかし3-4の7回、1番藤原の右翼への二塁打から3連続二塁打で大阪桐蔭が一気に逆転。直後の7回裏1死一塁、安田が中堅フェンス際へ大飛球を放ったが、あらかじめ深く守っていた藤原の好捕に阻まれた。

最後の夏を終えた安田の目に涙はなかった。「最後の相手が(大阪)桐蔭でよかった。お互いにしのぎを削ってやってきて、成長できた」。感謝の思いを口にすると、千羽鶴を手渡しに行った。悔しさはあっても、偽りのない本音だったと思う。良きライバルの存在は自分自身を成長させる。藤原も試合後「履正社が相手だったら自分が持っているものを出しやすい。いいチームですし、楽しい」と話していた。

大阪桐蔭は18年夏の甲子園を制覇し春夏連覇を達成。履正社は翌19年夏の甲子園を制した。両校のライバル関係は、大阪の枠も超えて続いている。【磯綾乃】