<近鉄VS.ダイエー>◇04年5月1日◇大阪ドーム

ゴールデンウイークでにぎわう大阪・ミナミの繁華街から、地下鉄で3駅。俺は人波をかき分けて、大阪ドーム前千代崎駅の階段を駆け上がった。

04年の大型連休中、大阪ドームでもらった真っ赤なTシャツ。半年後、球団から最後のはがきが届いた(一部加工)
04年の大型連休中、大阪ドームでもらった真っ赤なTシャツ。半年後、球団から最後のはがきが届いた(一部加工)

2004年(平16)5月1日の近鉄-ダイエー戦。半袖姿もちらほら見える初夏の大阪ドームには、すでに長い列ができていた。先着1万人に、近鉄のチームカラー、真っ赤なTシャツが無料配布されることになっていた。胸に「いてまえ おとこまえ」。背中には大阪出身のソウルシンガー、大西ユカリが歌う球団応援歌のタイトル「レッド de ハッスル OSAKA」。われこそが大阪の球団だと強烈に主張するTシャツを、ずいぶん並んで俺も手に入れた。

試合は近鉄が9回に3点差をひっくり返してサヨナラ勝ち。3万人の観衆を大いに沸かせた。この時は、まさか半年後に近鉄が消滅するとは、思ってもいなかった。

6月から始まった球界再編の大騒動は、楽天がパ・リーグに加盟することで、12球団2リーグ制が維持されることになった。万事めでたしの空気が流れる中、近鉄は予定通りに消えてなくなった。

秋も深まったころ、俺の自宅に1枚のはがきが届いた。近鉄球団からだった。ファンクラブの会員にあてた、そのはがきには「来シーズンは『バファローズ』の名を継承し大阪ドームを本拠地とした新チームがペナントレースを戦います」とあって、引き続き一層の声援を、と結ばれていた。球団に愛をささげてきたファンに対する最後のメッセージにしては、いささか味気なかった。ドイツの文豪、ゲーテの言葉が切なく響く。「私が君を愛していたとして、君が、それと何の関係があるか」。

あれから16年が過ぎた今も「近鉄」や「ブルーウェーブ」のファンと話す機会がある。

大阪の元近鉄応援団員は、今も熱心に「バファローズ」の応援を続けている。だが、ひいきチームの低迷を嘆くファンがいると、決まって言う。「お前の愛するチームは、今もあるじゃないか。俺が愛したチームは消滅したんだ」。東京の元応援団員は、全国の球場を駆け回った日々を楽しそうに語る。だが、今のプロ野球には、あまり興味がない、と話す。「ブルーウェーブ」の元応援団員は「まったく別のチーム」として「オリックス」を応援しているという。震災の苦難をともにした神戸の色がチームから消えかける中、割り切らねばいられないのだろう。

それぞれが抱える心の傷を見るようで、話を聞くたびに俺の胸は痛む。

04年、大阪ドームでもらった真っ赤なTシャツの背面
04年、大阪ドームでもらった真っ赤なTシャツの背面

<歌詞>レッド de ハッスル あっといわしたる ドームを赤くそめあげて

大阪ドームにこだまする大西ユカリのソウルフルな歌声。真っ赤なTシャツ欲しさに地下鉄の階段を駆け上がったあの日、俺が聴いたのは「近鉄バファローズ」への鎮魂歌(レクイエム)だった。(つづく)【秋山惣一郎】