北に富士、東に箱根、南に駿河湾。伊豆半島の付け根にある静岡県東部、三島市に、春もまだ遠い1月29日、吉報が届いた。春のセンバツ大会に21世紀枠での出場が決まったのだ。

「おめでとう!」「ありがとう!」。三島南高野球部OB会長・諏訪部孝志さん(62)の携帯電話には、お祝いのメッセージが引きも切らない。やりとりの間にもまた着信音が鳴る。LINE(ライン)、メール、ショートメッセージも次々と届く。祝勝会の誘いも断って、せっせと返信していると、また次の電話がかかってくる。創部100年。春夏通じて初めての甲子園だ。恩師や先輩、仲間や後輩。みんなが夢見た甲子園への出場が、ついに決まったのだ。「こんなにうれしいことはない」。諏訪部さんは頬をつねりたい気分だった。

三島南のOB会長・諏訪部孝志さん(2021年1月30日撮影)
三島南のOB会長・諏訪部孝志さん(2021年1月30日撮影)

さっそく、OB会や学校、同窓会、PTAに地元の有志らも加わって、初めての甲子園に向けた準備の態勢を整えた。三島市や近隣自治体へのあいさつ回り、地元の企業や商店、有力者を回っての寄付金集め。記念、応援グッズの作製、甲子園までの応援ツアーのプラン作り。夕方からはグラウンドに詰めて、新聞、雑誌、テレビの取材やお祝いにやってくる人たちに対応した。

開幕までの2カ月足らず。片付けねばならない仕事は山ほどある。選手は甲子園に向けて集中してほしい。その余のことは大人たちの仕事だ。諏訪部さんは夜に日を継いで駆け回った。

だが、初めてのことで勝手が分からない上、新型コロナウイルスの影響にも悩まされた。

寄付金集めのため、応援ポスターを作って地元商店街を回った。「このご時世に明るいニュース。元気をもらいましたよ」と笑顔で応じた商店主も、寄付となると「元気だけもらっときます」「ポスターは張るけど、寄付はちょっと…」と顔を曇らせた。甲子園のアルプス席での観戦バスツアーも、バス内の「密」を案じて「子供は乗せられません」「勤務先から止められました」などと新幹線や自家用車に切り替える人が続出。参加者の確認、旅行社との調整に追われた。

三島南OB会長の諏訪部孝志さん(左)は、ポスターを持って地元商店街を回った。眼鏡店ではポスター掲示と寄付に快く応じてくれた(諏訪部さん提供)
三島南OB会長の諏訪部孝志さん(左)は、ポスターを持って地元商店街を回った。眼鏡店ではポスター掲示と寄付に快く応じてくれた(諏訪部さん提供)

思うに任せぬ日々が続き、地元のため、母校のためと奔走してきた人たちからも「やってられません」「俺もやめます」と弱音が漏れた。「頼むから、もうちょっと手伝ってよ」と拝み倒したが「勘弁してほしいのは、こっちだよ」と愚痴のひとつも言いたい気分だった。

そんなある日、諏訪部さんの携帯電話に見知らぬ番号から着信があった。「諏訪部さんですか?」「はい」「本当に諏訪部さん?」。携帯電話会社からだった。ふだんの5倍近くに膨れあがった通話料金に異常を察した確認の電話だった。

そんなこんなで、大会までの2カ月はあっという間に過ぎていった。【秋山惣一郎】

◆諏訪部孝志(すわべ・たかし)1958年(昭33)、静岡県三島市生まれ。三島南野球部では捕手で2年時からレギュラー。75年夏の静岡大会で16強。18年から同校野球部OB会長。現在は同県熱海市の高校に非常勤労務職員として勤務。