「高槻中央ボーイズ」の監督として、籾山さんは日本一を目標に掲げる。主に土日祝日はグラウンドに立ち、中学生を指導。平日の2日間は、ビルの1フロアを改装した練習場を使用した野球塾で子供たちに野球を教える。野球を通じ、縁はつながり、今春、巨人時代の1学年下の山本和作氏が監督を務める大経大に教え子が入部した。

10年3月、教育リーグの西武戦で送球する巨人籾山
10年3月、教育リーグの西武戦で送球する巨人籾山

「人との出会いや縁は大事だなと。本当にいろんな縦と横のつながりがあります。それは、野球を長く続けた強みなのかなと」

昨年6月には、巨人のOBスカウトに就任した。各地区を担当するスカウトに、小学生や中学生などの有望選手の情報などを提供する。1度はプロ野球の世界から離れたが、野球が古巣との縁をつないだ。

籾山さんは今、未来の野球人を発掘、育成しながら、仕事では日々挑戦を続ける。独立したのも、自らが描いた思いをかなえるため。プルデンシャル生命保険での業務を通じ、多くの人と関係を築いていく中で、夢が大きく広がった。

「2年、3年とやっていく中で、保険だけじゃなくて、違う形でもお役に立ちたいなと思ったんです。実家が薬局だったこともあって、医療のコンサルティングにも興味があったので、いろんなことを組み合わせられたら、もっと幅も広がるんじゃないかなと」

野球人生も、常に変化や進化を目指しながら、さらなる高みを追い求めた。プロ野球も、会社経営も当然、結果が求められる世界。数字が悪ければ、淘汰(とうた)されるのは承知の上で、たった1人でチャレンジする道を選んだ。

「『1人で大変ですね』とか言われるんですけど、やりがいの方が大きいです。やればやるだけ自分にはね返ってくる。良くも悪くも、全てが自己責任。やるしかないですし、『やってやろう』という気持ちしかないです」

09年、イースタン・リーグに出場する巨人時代の籾山さん
09年、イースタン・リーグに出場する巨人時代の籾山さん

起業とほぼ同時に、新型コロナウイルスが感染拡大した。業務に関わる影響で言えば、人と対面する機会は少し減った。1人の時間が増える分、孤独や不安を感じることはないのだろうか。

「孤独と言えば孤独なんですけど、いろんな人が助けてくれます。仕事がないなら、探すしかないですし、そうならないようにしていこうって、生命力みたいなのは養われるのかなと思います」

今の夢は-。「一生、人とは強く関わっていきたいなと思っています。例えば、会社で人を雇って、その人の人生が豊かになるように頑張るのも1つ。たくさんの人に助けてもらいましたし、その恩返しができればと思っています」。

大好きな野球で道を切り開き、今は野球で培った気力、体力、人間力が社会を生き抜く武器となる。「選手の時も今も、思うことは1つです。やるしかないんです」。失敗や変化を恐れず、セカンドキャリアをまい進する。「やっぱり、家族には感謝の気持ちしかないです」。籾山さんの心を支えているのは、大好きな「野球」と「人」だった。(おわり)【久保賢吾】

◆籾山幸徳(もみやま・ゆきのり)1985年(昭60)4月10日、大阪・八尾市生まれ。天理、立命大を経て、07年育成ドラフト1位で巨人に入団。11年限りで引退し、ジャイアンツアカデミーコーチに就任。14年7月にプルデンシャル生命保険株式会社に入社。19年末に退社し、「NoriSuke」を起業した。現在は高槻中央ボーイズで監督を務める。家族は夫人と1男。現役時代は179センチ、80キロ。右投げ右打ち。