今年4月に完全試合を達成したロッテ佐々木朗希投手(20)が、岩手・大船渡高の最速163キロ右腕として国内外の注目を集め始めて3年になる。希代の才能と交わった若者たちは今、何を思うか。それぞれを訪ねた。

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今野聡太さん(20)は誰かのSNSで知った。

「あっ、今日朗希が投げてるんだ」

急いで中継を見る。8月3日夜。友は仙台の楽天生命パークで投げていた。

今年はずっとこんな感じだ。友の今季初登板も3月27日の仙台だった。今野さんは大船渡高を卒業、盛岡大に通う。千葉に行くよりは観戦しやすい距離。しかし。「考えてもいませんでした。新年度の準備が最優先といったところで」。

佐々木朗希の大船渡高時代のチームメート、盛岡大・今野聡太さん(本人提供)
佐々木朗希の大船渡高時代のチームメート、盛岡大・今野聡太さん(本人提供)

3年生になった今年4月、大学の硬式野球部に入った。「2年生までもトレーニングはやっていたんですけど、野球的な運動は素振りくらいで、投げる動作は全くしていなくて。他の選手との差を感じました」。大学野球部への途中入部はまだまだ一般的ではない。「最初は全くバットに当たらない状態が続いて」と苦笑いで回想する。

中学では一部指導者の理不尽に直面し、不完全燃焼。高3夏は試合中に右足を負傷し、最後の試合もベンチで終えた。「4番の朗希も3番の自分もいない中の決勝だったので。もし出てたら甲子園に…」。大学入学時点でケガが完治せず、野球はあきらめた。しかし一昨年、救急ヘリで搬送されるほどの交通事故に遭い、人生観が刺激された。強まる「後悔しないように」の思いを表現するのは、野球しかなかった。

19年7月、一関工戦で今野(後方)は打席に向かう佐々木朗希を応援する
19年7月、一関工戦で今野(後方)は打席に向かう佐々木朗希を応援する

白球中心の懐かしい生活サイクルに染まる。4月の完全試合もリアルタイムでは見ていなかった。「家に帰ったら同級生みんながラインで盛り上がっていて、それで知った感じで」。かといって疎遠ではないし、たまには連絡もする。試合では高3の誕生日に佐々木にもらったタオルを使うこともある。

思いを貫く。もともとは引っ込み思案な少年だった。転機は猪川小3年の春。担任の鈴木先生に呼び出された。「何も悪いことしてないのに」とおびえながら放課後の教室へ。先生は穏やかに迎えてくれた。

「学級会長とか、興味ある? 聡太君ならみんなとうまく話せるし、周りも見えているし」

人前が苦手で、授業で挙手もしない自分への打診。「何かが変わりました。推薦されたことで、自分の心に自信がついた感じがして。そこからですね」。1年後には「早くなじめるようにこっちからどんどん話し掛けよう」と、転校生に対しても積極的な頼もしい学級会長になっていた。すらっとした転校生の名は「佐々木朗希君」だった。

部活動に加え、就職への学びも忙しくなってきた。ヘトヘトでも充実の毎日。「うまくいかないこともありますけど、好きなようにできているので」。友から贈られたタオルの「ALL IS WELL」の刺しゅうが目に入る。きっと、うまくいく-。【金子真仁】(つづく)