センバツの特色ともいえるのが、01年から始まった「21世紀枠」。困難な練習環境や地域貢献活動など、特色ある高校が選出される。甲子園に立つ経験は、人生の大きな転機。21世紀枠で出場し、その後プロ入りした先輩のストーリーと、後輩へのエールを届ける。

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21年前のことを今も忘れることはない。02年の第74回大会。21世紀枠で初めて選抜に出場した鵡川(北海道)の主将は、元日本ハムで北海道・足寄(あしょろ)高の池田剛基監督(38)だった。「間違いなく、21世紀枠で甲子園に出たというのは私の人生の中のターニングポイント」と思い返しながら当時を振り返る。

インタビューに応じる北海道・足寄高の池田監督(撮影・山崎純一)
インタビューに応じる北海道・足寄高の池田監督(撮影・山崎純一)

前年秋の北海道大会は8強だった。大会後の関西への修学旅行で、当時部長だった小池啓之・現鵡川監督(71)の計画で生まれて初めて甲子園を訪れた。「こんなに広いんだ、まさに聖地という感じがした」。選抜出場は想像もしていなかったが候補校に選出され、翌年に北海道勢として初の21世紀枠で出場が決定。「驚きで実感はなかった」と記憶をよみがえらせる。

19年8月に亡くなった恩師の佐藤茂富監督(享年79)には試合前、こう言われた。「全力疾走、攻守交代を駆け足、元気いっぱいキラキラと、野球に真摯(しんし)に向かっているさまをお客さんは見ている。とにかく一生懸命野球をしよう」。4番一塁として出場し、12-8で甲子園初勝利した三木(兵庫)戦で2安打。「今まで生きてきた中で、甲子園の1打席目が一番緊張して覚えていない。ふわふわしていた」と、地に足がついていなかったのは覚えている。

選抜出場をステップに、02年秋のドラフト会議で日本ハムに7巡目指名された。プロ生活を3年間で終え、日本ハムアカデミーコーチを経て18年に足寄町教育委員会任期付職員に着任。20年4月から足寄高監督に就任した。「夢のある仕事をしています」と、甲子園出場を目標に日々励んでいる。

大舞台に挑む後輩球児には「楽しむことを忘れずに一生懸命頑張って欲しい。アドバイスできることがあるなら、やるべきことを決めると試合に入りやすいと思う。私の場合は全力疾走でした」とメッセージを送った。選手に負けじと、自身も夢に向かって全力で走っていく。【山崎純一】