ソフトバンク松田宣、東浜、高田、DeNA嶺井、山崎、広島九里、薮田…。「戦国東都」と称される東都大学リーグで、平成最多19度の優勝を誇る亜大。14年(平26)春に戦後初の6連覇を飾るなど、プロで活躍する選手を輩出しながら、結果を積み重ねてきた。04年から指揮を執り、リーグ優勝9度、明治神宮大会で3度日本一に導いた生田勉監督(52)の指導方針に迫った。

      ◇       ◇

生田監督は04年(平16)にコーチから監督に就任した。当時の3年生にソフトバンク松田宣がいた。3年秋までにリーグ通算15本塁打とし、青学大・井口(現ロッテ監督)のリーグ記録24本塁打に迫っていた。大学ラストシーズンに向けて「井口選手の記録を抜けって一緒に練習やりましたよ。へこたれない。明るくてあのままでしたね」(生田監督)。厳しい練習を積んでいた冬に“事件”は起きた。

04年12月、JR中央線の電車内で部員が集団痴漢したと疑われ、現行犯逮捕された。実際は不起訴になり、のちに事実ではなかったことが明らかになったが、亜大野球部は春のリーグ戦は出場停止で2部降格。生田監督には1年間の謹慎処分が科された。

「犯罪者扱いで週刊誌にも追い掛けられました。自分の失敗なら反省すればいいですが、どうしたらいいか分からなかったです」

1年間ユニホームを着られず、学校の職員として一般学生と触れ合う日々。05年秋は“監督不在”の中、2部で優勝したが、1部との入れ替え戦の観戦も許されなかった。年が明けて1年ぶりに復帰すると、当時の主将から練習用のユニホームを贈られた。

「ユニホームってこんなに白かったかと思うぐらい光って見えました。野球の見方が全然変わった。それまでは1000本振れって上から目線のスパルタでしたが、ある程度やらせたいことは伝え、あとは彼らに選ばせる。あの1年間が僕に我慢を教えてくれました。あのままだったら人間として、指導者として大失敗をしていたと思います。僕の原点は不祥事なんです」

4年秋に主将としてチームを1部に復帰させた松田宣だが、2部での本塁打数は加算されず、記録更新はならなかった。生田監督は「今も打てなくなったら連絡が来る」と言う。今シーズンも苦しんでいた時期にゲキを飛ばした。

「今まではアウトコースを踏み込んで打ちにいってファウルになってケンケンしてたけど、それが今はない。オレはいい選手で、これだけ稼いで、ソフトバンクの顔ぐらいに思っているから踏み込まないんだ。だからデッドボールも少ないし、外を打てない。踏み込め。残りの野球人生どうするか知らないけど、今のままなら終わるぞと」

直後の試合で、松田宣は外角に踏み込んで右翼席に本塁打を放ったという。11年に10個あった死球は昨季は1個。今季は4個で、3年ぶりの30本塁打超えとなる32本塁打をマークした。

「原点に戻れる場所があれば、背筋が伸びる。そういう気持ちがあるうちは、いいんじゃないですかね」(つづく)【前田祐輔】

05年11月、3季ぶり1部昇格を決めた亜大はベンチ裏で大喜び。前列右は松田宣
05年11月、3季ぶり1部昇格を決めた亜大はベンチ裏で大喜び。前列右は松田宣