イチローVS野茂。平成時代に伝説となった2人は日米両国でしのぎを削った。

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2001年(平13)5月2日、シアトル。日本人メジャーのパイオニア野茂英雄(レッドソックス)と、初の日本人野手としてデビューしたイチロー(マリナーズ)の米国での初対決が実現した。

2打席目まではイチローが凡退した。5回2死二塁の第3打席。野茂が投じた144キロの内角速球がイチローの背中を直撃した。無表情で一塁へ向かうイチロー。野茂も日本式に帽子を取る謝罪はなかった。

試合後、野茂は淡々と言った。「安打を打たれてはいけない場面なので、内角を狙った。でもボールが引っ掛かってしまった。三振狙い? 当然でしょう」。

一方のイチローは、少し苦笑しながらも率直な感想を口にした。「米国に来て初めての死球が日本人からとは思いませんでした。僕は野茂さんを敵の1人と考えています。向こうも同じではないでしょうか」。

2人の因縁は93年6月12日までさかのぼる。新潟・長岡悠久山球場でのオリックス-近鉄戦。「1番中堅」で出場したプロ2年目の鈴木は、振り子打法で野茂から右翼へプロ初本塁打を放ち、完封を阻止した。

当時のメディアはほとんど注目していなかった。登録名を鈴木からイチローに変えた翌94年、2人は球宴で競演。西武球場(当時)での第1戦では、3番手で登板した野茂のバックを左翼イチローが守った。この年、イチローは年間210安打で大ブレーク。スターへの道を駆け上がった。

翌年、野茂が米国へ渡り、2人は袂(たもと)を分けた。日本での対戦成績は13打数4安打、打率3割8厘。メジャー先駆者2人の日本での接点は、わずかだった。

野茂にすれば、野手として初めて海を越えてきたイチローとの初対戦には、特別な感慨があったのだろう。「イチロー君との対戦も楽しみでしたし、マリナーズに勝つのも楽しみにしていました」。メジャーでの対戦成績は12打数4安打、打率3割3分3厘。最終対決は08年4月15日、空振り三振だった。

同年7月、野茂が引退を表明。パイオニア同士の、静かでも熱い対戦は幕を閉じた。イチローは「野茂さんがやってこられたことは、僕がいまさら言うことでもないです。僕としては『ありがとうございました』という気持ちです」と素直に感謝した。【四竈衛】