巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜(44)は、平成時代に日米通算507本塁打を放った。プロ1号と最後の507号。2本には共通点があった。

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2012年(平24)6月1日。レイズ松井は、オリオールズ戦で先発チェン(元中日)から2号本塁打を放った。146キロの内角速球をコンパクトなスイングで捉え、右翼席最上段まで運んだ。

本来の弾道だった。当時37歳の松井は前年オフ、移籍先が決まらず、開幕後の4月30日にレイズと契約。メジャー合流後は調整遅れを取り戻そうと、もがきにもがいていた。だからこそ試合後は「飛距離も出たし、いい本塁打。状態はよくなってきているような気がします」と好感触を口にした。だが、その後は古傷の左ヒザ痛にも苦しみ、成績は下降線の一途をたどる。結局、この1本が最後の本塁打となった。

スター街道を歩んできた一方で、根底には常に反骨心があった。巨人入りした93年、宮崎キャンプのフリー打撃では豪快弾を連発したものの、オープン戦では沈黙。当時の長嶋監督は「開幕2軍」を通告した。優等生的発言が多かったが「落としたことを後悔させたい」と言った。温厚な表情の裏に潜む熱が、万人を満足させる放物線の源にあった。

同年4月10日。長嶋復帰で沸く東京ドームから遠く離れた高知・春野のイースタン開幕戦で、松井はプロ1年目の初日を迎えた。牧歌的な地方球場。「緊張した」と言いながらも、その年新人王を獲得するヤクルト伊藤智仁(現楽天投手コーチ)からプロ初アーチを放った。2軍戦で、記録上は「0号」。それこそが、長嶋監督へ向けた意地の1発だった。

約1カ月後の5月2日。前日、1軍デビュー戦で初安打を放っていた松井は、9回裏、ヤクルト高津から右翼席へ正真正銘のプロ1号をたたき込んだ。「打っちゃった。打っちゃったよ」。当時19歳。にきび面が残る満面の笑みは、今でも忘れられない。

1軍定着を目指していた無心の1号と、現役存続をかけたこん身の507号。その差に何があるのだろう。何もないと思う。

引退後、自らの引き際を語った。「自分がやりたくても、力になれないのであれば、やっても意味がないですから」。天賦(てんぷ)の才だけで507本塁打は積めない。チーム。ファン。そして自分自身。感情を制御しながら、あらゆる期待を受け止め、応えようと努力し、反骨の熱をバットに込め、平成最強のスラッガーに君臨した。【四竈衛】