愛甲ら1年生は緊張の毎日を過ごした。ホッとできる場所は1つだけだった。

 愛甲 教室だよ。廊下でも先輩へのあいさつがあるから気は抜けない。でも、授業中は先輩にも出会わない。一番安心できた。

 足りない睡眠を補い、体を休める貴重な時間でもあった。

 愛甲 授業中、基本的に野球部員は寝ている。ただ、野球部を応援してくれる先生は多いけど、反野球部もいる。地学の先生が反野球部でね。地学の授業中に寝ていたらジョーロで水をかけられたよ。

 入学当初、1年生部員は100人以上いた。合宿所入りは数人で、通学生は最寄り駅の谷津坂(現在は能見台)から全力疾走が基本だった。大きな野球バッグを抱えて走っていた。

 愛甲 そう言えば、この頃に笑える事件があった。先輩から「1年生は各自2本ずつグラウンド整備するトンボを作ってこい」と言われた。オレは合宿所だから免除だけど、みんな苦労して作った。で、学校に持ってくるのに電車に乗る。朝のラッシュ時に、トンボ2本ずつ持った学生が大挙して電車に乗る。異様な光景でしょ。京急(京浜急行)から学校に苦情が来たらしいよ。

 記憶がよみがえったのか、愛甲はうれしそうに声を出して笑った。

 愛甲 でも、ほとんどのトンボが使えない。当然だよね。みんな作ったことないんだから。ただ、大工のお父さんに作ってもらったヤツがいて、このトンボが大人気だったよ。

 夏が近づくと強化合宿が始まる。選ばれた約40人は朝5時半に起き野球漬けの生活を送る。愛甲が当時の練習を振り返る。

 愛甲 6時から7時半までジャージーのままフォーメーションの練習。その後ユニホームの上に学生服をはおって教室に行く。でも、ホームルームで出校届だけ出したら、バスで追浜球場…今の横須賀スタジアムに行って、午後3時までみっちり練習する。学校に戻ったら7時まで打ち込み。夕食後には3人ずつピックアップされて日産自動車の室内練習場で打ち込んだ。オレが3年の時は、この後に投手陣だけ走り込み。これが県大会の2、3回戦ぐらいまで続く。大会に入ったからといって練習量は落ちない。このへんで負けるようじゃ、しょうがない。まさに野球漬けだよ。

 この頃の愛甲はよく貧血を起こした。中学入学時に156センチだった身長は180センチまで伸びていた。急な成長で体に無理が出ていたのだろう。貧血を起こすと監督の渡辺元に呼ばれた。

 愛甲 病院に行けと言われてブドウ糖を注射してもらったりね。あとは当時、駅前にあった「A(エース)」というスナックに行けと言われて、マスターにレバニラ炒めとかごちそうになっていた。駅前の商店街が後援会みたいなもので、みんなが応援してくれた。

 夏の神奈川大会が始まった。2回戦の金井戦、3回戦の相模原戦、4回戦の津久井浜戦と愛甲はリリーフで登板した。2年の田代晃久が先発し、愛甲にスイッチするパターンが続いた。

 愛甲 最後まで、このパターンで行くと思っていた。あくまでメインは田代さんだと。

 だが、津久井浜戦を終えた夜、愛甲は合宿所で渡辺に呼ばれた。柏陽との準々決勝の前夜でもあった。(敬称略=つづく)

【飯島智則】

(2017年5月12日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)