岩手から日本一-。01年9月から花巻東の監督に就任した佐々木洋(42)は、県内の選手を徹底的に鍛え上げ、春夏通算9度の甲子園に導いている。西武菊池雄星やエンゼルス大谷翔平を輩出し、東北を代表する全国強豪にまで成長させた。野球留学が盛んな現代において、県内選手のみで戦う姿は私立校として異色といえる。佐々木が今も貫く“原点”に迫った。

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 目を疑った。横浜隼人(神奈川)でのコーチ修業を終えて、99年に花巻東のコーチに就任。佐々木の目に飛び込んできたのは、才能豊かな県内選手のプレーぶりだった。

 佐々木 隼人にいた98年は松坂フィーバーで、岩手と神奈川の違いを感じさせられた。何が違うのか、ちゃんと隼人で感じたら帰ろうと。そして岩手に帰ったらびっくりした。県内には相当素材のいい選手がいた。岩手の選手だけで勝負できるなと。県外に出て良かった。岩手にいたままじゃ、分からなかった。岩手と関東の選手が能力が違うと思ったのが恥ずかしい。

 高いポテンシャルを秘めた選手が県内にいるのに、当時の岩手は全国で通用しなかった。

 佐々木 選手の能力の問題じゃなくて、指導者の能力の問題というのが分かった。急に雄星や大谷が出てきたわけじゃない。二刀流ができる選手が以前にもいたのに、育てる環境がなかった。昔からプロにいける選手がいたのに、指導者がいなかった。それをすごく痛感した。

 佐々木の監督就任と時を同じくして、県内の野球を取り巻く環境が劇的に変化し始めた。00年以降、不毛だった硬式野球が盛んとなり、リトルシニアのチームが増えた。中学の軟式野球部では県選抜やKボール選抜を編成し、全国大会を経験できるようになった。

 佐々木 中学の指導者のレベルが上がったのは事実。昔はうまい選手がいても、中学では井の中のかわずだった。エースで4番でもライバルはチーム内だけ。意識、レベル、周りを見ないままやってきた。でも今は違う。シニアや県選抜で全国を意識しながら戦っている。変わったのは選手じゃなくて、指導者です。

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 佐々木の熱心な指導を受けたいと、県内から有望な選手が集まってきた。05年夏の甲子園出場を皮切りに09年春のセンバツ準優勝。以降も09年夏、13年夏4強など上位まで進出するが、日本一には届かない。今春のセンバツは準々決勝では、積極的な全国スカウトでチームを強化する大阪桐蔭に0-19と大敗した。

 佐々木 県外から選手を取ることは悪いと思ってない。本当に日本一を狙うには県外から取ってきてもいいのかなと思ったり思わなかったり。今でも迷うときはある。情けないことにぶれまくってます(笑い)。

 それでも“原点”が揺るがないのには理由があった。09年センバツ準優勝翌日。花巻に帰ってくると、景色が一変していた。高速道路から降りると「お帰りなさい」の横断幕が。その後の同校体育館で行われた報告会には、約3600人もの花巻市民が集結した。

 佐々木 正直言って、岩手をあんまり意識したことがなかった。あの時までは。岩手にも花巻にも、思いがなかった。でもあらためて、こんないい人たちがいる県なんだと思った。すごくうれしくなった。岩手県の郷土愛を逆にみなさまに気付かされた。岩手出身で良かった。みんなに喜んでもらって、勝ちたいですね。(敬称略)【高橋洋平】

 ◆岩手の夏甲子園 通算39勝75敗1分け。優勝0回、凖V0回。最多出場=福岡、盛岡大付10回。

09年4月、花巻東準優勝報告会で観衆に見送られ退場する菊池(中央)
09年4月、花巻東準優勝報告会で観衆に見送られ退場する菊池(中央)