39年前の1978年(昭53)夏。「逆転のPL」で果たした全国制覇を振り返って、「何が一番うれしかった?」と問うと、西田真二は即答した。「教主様(御木徳近氏)にご報告した時、本当にうれしそうなお顔で喜んでいただいたことです」。

一見、宗教とは無縁に思われるような西田だが、実はそこが西田のナイーブな一面でもある。

西田 普通の高校なら、古くなったボールを縫って使っていた。野球部に入ると、まずボールを縫うことから覚える時代にあって、PLではそんな時間があるなら、しっかり練習しなさい、と言っていただいた。恵まれていたと思います。そこまで全面的にバックアップしていただいた教主様の喜びは、並大抵ではなかったと思います。だから、余計に今のPLが…。

西田はそこで言葉を閉じた。

全国から有能な選手を集め、専用のグラウンドで、野球部員だけの寮生活によって、野球の英才教育を徹底した。一時は「金権高校野球」などと批判された時代もあったが、野球の強い高校になるために、その後多くの学校が取り入れた部分も数々ある。時代とともに、高校野球も移り変わっていくのは当然だが、PLがその一時代を築き上げたことは間違いない。

そんなPLの硬式野球部は今、休部状態となっている。現実的に言えば、今はPL学園野球部が存在しないということになる。

数多くのプロ野球選手を送り出してきたPLだが、現在の母校の状況については、西田の「寂しいのひと言」に集約される。同時に復部に向けては「お手伝い出来ることがあるなら、なんでもさせていただきたい」というのもOBの共通した思いだろう。

♪燃ゆる希望に命生き 高き理想を胸に抱く…

甲子園から姿を消して久しいが、こういう歌い出しで始まるPL学園の校歌は、高校野球ファンのみならず、多くの人々に親しまれるまでになった。

野球部に携わるPL関係者に聞いても、現時点では復活への兆しは聞こえてこない。果たして、西田らが先鞭(せんべん)をつけたPL野球はこのまま終わってしまうのだろうか。

「永遠(とわ)の学園であって欲しい」

西田が校歌の最後のフレーズをつぶやいた。(敬称略=おわり)【井坂善行】

(2017年11月28日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)