12月15日は近鉄、オリックスで指揮を執った仰木彬氏の命日です。05年の同日に惜しまれつつ、70歳でこの世を去りました。あれからもう17年になります。

若い人は知らないかもしれませんが「仰木マジック」で知られる名将。「がんばろうKOBE」で球史に残る90年代のオリックス黄金期、担当記者として接する幸運に恵まれました。

「マジック」と言いますが現在では当たり前になったデータや相性を重視する采配。ベテラン選手にも遠慮せず、毎日、スタメンを変えて戦いました。

その一方、自身が見込んだ若い選手は徹底的に起用します。近鉄時代は野茂英雄、オリックスではイチロー、田口壮といった若手選手を使い、育て上げたのです。仰木氏の下から大リーガーになった選手が多いのも知られるところです。

「仰木マジック」はチーム内にとどまらず、日々、接することの多いスポーツ紙を中心にした記者、メディアを通じて世間にも向けられました。そしてオリックスで最初にそれを発揮したのは岡田彰布氏、現在の阪神監督の獲得だったかもしれません。

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阪神という球団は中心になって活躍した選手が、そこでキャリアを終えないケースが多い、ある種、不思議なチームです。かつての田淵幸一氏、江夏豊氏しかり。最近でも今岡真訪氏、鳥谷敬氏(日刊スポーツ評論家)、さらに福留孝介氏、能見篤史氏と多くの名前が出てきます。

もちろん若返りを図る球団と「まだやれる」という選手の意向が合わないケースはどこの球団でもありますし、それ自体が悪いということではありませんが「伝統の一戦」のライバルである巨人とこのケースを比べれば多いと思わざるを得ません。

「85年日本一戦士」の岡田氏も93年限りで阪神を自由契約になりました。引退か現役続行か。決断が迫られるそこへ救いの手を差し伸べたのが、同年のオフにオリックス監督に就任したばかりの仰木氏でした。

「岡田はまだやれるやろ。それになんといっても人気があるしな」。岡田氏獲得の理由をそういう感じで説明したのです。さきほども触れましたが仰木氏はメディアを使ってのイメージ作戦が得意。岡田氏の獲得で現在以上に人気面で大きく差をつけられていた阪神に対し、なんならそのファンまでも取り込もうという作戦だったと言えます。

そして岡田氏はオリックスで2シーズン、現役を続け「がんばろうKOBE」でリーグ優勝した95年限りで引退。96年3月、阪神とのオープン戦で引退試合を行い、両軍選手から胴上げされたものです。

その後、オリックスで指導者となり、阪神にも監督で復帰。評論家生活を経て、このオフ、再び1軍監督についているのは言うまでもありません。

その岡田氏は仰木氏について「自分の野球人生にもっとも影響を与えた監督」と位置づけています。データ、相性に基づく采配は自身も強く意識する部分のようです。

仰木氏は球界再編の波によって近鉄とオリックスが合併したオリックス・バファローズの初代監督として05年の指揮を執りました。そのとき70歳。

すでに病魔におかされていた体にムチ打って大事な初年度の指揮を執りましたが4位で終え、そのシーズン限りでユニホームを脱ぎました。それから間もない12月にこの世を去ったのです。「グラウンドで死ぬ」を体現したのでした。

65歳になったばかりの岡田氏は来季、12球団で最年長の監督として第2次政権に挑みます。年齢的な問題、選手との関係性など不安視する部分もありますが、そのあたりは現状、大丈夫な様子。

なにより05年の仰木氏よりまだ5歳も若い。来季に思う存分、戦って結果として優勝すれば空の上で仰木氏も「おい、岡田! アレやれたやないか。アレを!」と喜んでくれるはずです。