キャンプの主役はコーチ! 監督の岡田彰布が好んで使うフレーズだ。そのコーチ陣、昨年と同じ顔ぶれである。日本一になったわけだから、手を加える必要はなし。新たに上本、渡辺亮がスタッフに加わったが、基本は変動なしの安定内閣…といったところか。

2年前のオフシーズン。監督復帰が決まった段階で、岡田は球団と話し合い、組閣検討を続けていた。その結果、ヘッドコーチの平田がまず決定。前回監督と同様、かつての二遊間コンビがよみがえった。

打撃コーチに水口。早大の後輩で関係性は強い。今岡もかつての師弟関係で順当な入閣となった。投手コーチは「オレの考えを知る人間で」と安藤、久保田の2人を2軍から引き上げた。さらにバッテリー部門には嶋田宗を。なにしろ古い付き合いだ。お互い、気心知れた関係である。

守備走塁コーチは藤本だったが、彼も2005年優勝メンバーで、岡田とは近い関係。そしてもうひとり、阪神に初めてやってきたのが馬場敏史だった。ここだけ引っかかっていた。岡田との接点はあったのか…。当初、岡田には意中の人物がいた。しかし、その人物が在籍するチームを離れられない状態で、獲得寸前に破談となった。

あと1人の守備走塁コーチをどうする? そこに球団関係者から「馬場さんがいますよ」の情報が入った。馬場は当時、評論家生活を送っていた。そこから話が進んだのだが、先に書いた岡田と馬場の接点。それは94、95年、オリックスで「がんばろう神戸」としてともに戦っていたわけだ。

「そうよ、オリックスで一緒やったし、そら守りはうまかったよ。守りだけやったけどな(笑い)、馬場ちゃんはな」

そんな馬場のキャリアを振り返って驚いた。とにかく多くのチームに在籍してきたのだ。福岡の柳川高から新日鉄堺を経て、ドラフト5位でダイエーに入団。これがプロ人生のスタートで、そこからオリックス、ヤクルトとトレードで渡り、ヤクルトで現役を終える。するとすぐにオリックスの2軍コーチのオファーがあり、指導者歴が始まった。

それからは体制が変わると退団、すぐに要請を受けて入団を繰り返した。ヤクルトからまたオリックスへ。そこからDeNAに進み、さらに韓国プロ野球にトライし、帰国後は西武に。そして評論家に転身していた。経歴、略歴だけで、相当なスペースを取るのだが、それだけの経験は馬場のコーチとしての引き出しになっている。

岡田から誘いを受けて、初めて阪神というチームにやってきた。2シーズン目を迎え、改めて阪神というチームのすごさを実感している、という。「恵まれた環境というのですか。他球団とは全く違いますよ。それは多くの球団にいたから感じることでしょうね」。

岡田の野球は「守り」。それを担うコーチとして「馬場ちゃん」は責任を感じている。それが身を結んで、多くの内野陣がゴールデングラブ賞に輝いた。もちろん今年も引き続きとなるし、あとひとり、三塁佐藤輝を何としてでも守備で一人前にする。これが多くのチームを渡り歩いてきた馬場の目の前の役割。老け顔ではあるけど、年齢は59歳。阪神OBでないコーチの2年目、期待感は大きい。【内匠宏幸】(敬称略)