14年ぶりの再会の場所は東京ドームだった。1日に行われた都市対抗野球準々決勝で、元チームメートを記者席から見届けた。

四国銀行(高知市)・十河秀介内野手(27)と小学生の頃、一緒にプレーをした。通っていた小学校は違ったが、仙台市内の学童少年野球チーム、「旭丘少年野球クラブ」に在籍。同学年の十河は、6年生になると主将を務めていた。

十河は遊撃手で、私は三塁と一塁を守っていた。三遊間を組むときは、よく守備をカバーしてもらった。一塁手の時は、打球を華麗にさばく姿に「うまいなあ」と思いながら送球を捕った。卒団後、宮城から高知へ引っ越した十河とは会うことができなかった。水道橋駅へ向かう総武線に揺られながら思い出していた。

四国銀行の8番遊撃でレギュラーだったが、2次予選の決勝から先発を外れた。ベンチで声を出して味方を鼓舞しながら、出番を待った。準々決勝のNTT東日本戦で、7回に代打で今大会初出場。一ゴロに倒れたが、そのまま三塁の守備につき、ファウルフライを滑り込みながら好捕した。

1次予選前に右肩を痛め、練習では投げられない状態だったが、ケガを感じさせない軽やかな守備だった。小学生時代の面影を感じる笑顔を記者席から眺めながら「やっぱりうまいなあ」と懐かしくなった。

92年バルセロナ五輪の野球日本代表で銅メダルを獲得した、日本生命・十河章浩監督(53)を父に持つ。「いつか十河親子を取材したい」と入社時から思い描いていた。入社4年目の昨年11月に野球記者となり、今大会後に電話で取材をする機会をいただいた。「お久しぶりです」。はじめはぎこちなく敬語で話し合っていたが、いつの間にか昔のような雰囲気になった。大人になり、チームメートではなく選手と記者という立場になった。十河は「すごいことやね」とすっかり低くなった声で笑った。

小学校時代の憧れでもあった球友は高知高、松山大を経て16年に四国銀行に入行。2度の都市対抗を経験したが、16年と今年、四国2次予選の優勝をベンチで見届けた。成し遂げていないことはまだある。「優勝の瞬間はグラウンドにいたい。3回目こそは」と闘志を燃やした。チームは今大会、初の8強入り。全国で戦えたという自信を胸に、来年の都市対抗と日本選手権の出場を目指す。すでに前を見据え、切り替えた。

27歳と社会人野球界では中堅の年代。現役生活も残り少なくなってきた。「自分で辞めますとは言わない。『あがりなさい』と言われるまでは、やれるところまでやろうと思う」。完全燃焼する仲間の姿をこれからも陰ながら応援していきたいと思う。【湯本勝大】