あのとき、花巻東・大谷翔平投手(現日本ハム)は泣いていた。高3夏(12年)の岩手県大会決勝で、盛岡大付・二橋大地内野手(現東日本国際大4年)は大谷から、試合を決定づける3ラン本塁打を放った。しかし、左翼ポール際に伸びていった弾道に「ファウルじゃないか」の声が上がり、試合は一時中断したほどだった。本塁打の判定は覆ることなく、この一打で大谷は甲子園を逃し、試合後は泣きながら会見した。「大谷を泣かせた男」二橋に真相を聞いた。

 「今でもホームランだと信じている」

 高校卒業以来初めて、大谷から放った3ランを動画サイトで見直した二橋は、自信を持って言葉を紡ぎ出した。

 高3の夏、岩手大会決勝。二橋の一振りが大谷を沈めた。1-0の3回表1死一、二塁。2球目の真ん中高め147キロ直球を強振すると、打球は一気に左翼ポール際へ飛び、芝生席上段に突き刺さった。ファウルか微妙な際どい当たりに、たまらず大谷は球審にアピールしたが、判定は覆らなかった。

 二橋 高めは「二橋ゾーン」って自分が呼ぶぐらいの得意コース。打った瞬間、距離的には間違いなくいったと思った。ただ全力疾走してたので、打球の行方は見ていない。三塁審判が腕をグルグル回していたのを見て、初めてホームランだと思った。

 当時は疑惑の本塁打と言われ、物議をかもした。甲子園出場を決めたが、違った形で注目を浴びた。

 二橋 一生忘れられない出来事。高校では疑惑、疑惑って言われて、またかよって思ったこともあった。でも、あれがあったから今がある。前向きに考えられるようになったし、今になっても取り上げてもらえるわけですから。

 大谷から放った3ランを自信に、大学では4年春のMVPを始め11個のタイトルを獲得し、5度のリーグ優勝に貢献した。卒業後は三菱日立パワーシステムズ(PS)横浜(神奈川)と、三菱重工長崎が合併し、来年1月から始動する三菱日立PSでプレーする。前身の三菱日立PS横浜は、大谷の父徹さん(54)がかつてプレーしていた三菱重工横浜がルーツというのも、不思議な縁である。都市対抗野球出場をステップに2年後のプロ入りをかなえ、大谷との再戦を実現させる。

 二橋 大谷のお父さんがプレーしていたのは知りませんでした(笑い)。野球人生の最後だと思って死ぬ気で頑張る。自分の売りは長打力。ホームランを打たないと始まらない。

 大谷と最後に会ったのは、大学1年(13年)の7月のオールスター(いわきグリーンスタジアム)。球場手伝いで来ていた二橋がフェンス越しに声をかけると、気付いた大谷は片腕でポールをつくって、本塁打を再現するジェスチャーを返してきた。

 二橋 覚えていてくれて、うれしかった。今思えば、大谷に勝ったのはすごいとしか言いようがない。もう別世界の人ですね。

 プロで再戦したら、ホームランをたたき込む場所は既に決めてある。

 二橋 高校の時はレフトポール際に打って分かりづらかったので、プロでは分かりやすくバックスクリーンにぶちこみたい。でも大谷が先にメジャーにいってたら、対戦できませんよね(笑い)。(取材、構成・高橋洋平)

 ◆二橋大地(にはし・だいち)1994年(平6)4月17日、神奈川県大和市生まれ。文ケ岡小1から野球を始め、光丘中では硬式の横浜瀬谷ボーイズに所属。盛岡大付では3年夏に甲子園出場し高校通算39本塁打。東日本国際大では1年秋から正三塁手。178センチ、86キロ。右投げ右打ち。家族は両親、姉、弟。弟の祐太(盛岡大付3年)も今夏の甲子園に出場。

 ◆盛岡大付対花巻東(岩手大会決勝)12年7月26日、岩手初の3季連続甲子園出場を狙う花巻東・大谷に盛岡大付の強力打線が襲いかかった。2度マウンドに上がった大谷に対し、15個の三振を奪われるも9安打を浴びせ、5-3で勝った。3回に3ランを浴びた花巻東は打線が振るわず、6安打止まりだった。