強豪私立を倒すべくして、倒した。第100回全国高校野球東東京大会準決勝が行われ、第1シードの小山台が7-2で帝京に快勝。前身の都立八で準優勝した1949年(昭24)の第31回大会以来、69年ぶりの決勝進出を決めた。29日の決勝戦では同校初、都立勢としては03年雪谷(東東京)以来4校目の甲子園出場をかけ二松学舎大付と戦う。
神宮球場に小山台の校歌が響いた。69年ぶりの決勝、頂点まであと1勝でも選手たちに高ぶりはなかった。東東京第1シードが順当に歩を進めた。堂々と歌い上げると、スタンドに向かって丁寧に頭を下げた。
帝京を封じた戸谷(とや)直大投手(3年)は、右腕に心地良い疲労を感じていた。文武両道を地でいく国公立大志望のエース。130キロ台中盤の直球を愚直に両コーナーへ集め、ここぞのスプリットで中軸から三振を奪った。「うれしい。やっと勝てた。今までも早実とか(日大)三高に負けてきた。とにかく気持ちで負けないようにと思った」と爽やかに笑った。「去年の秋はできなかった」完投は今大会4度目。トレーナー、栄養士から得た知識を着実に吸収し、178センチの長身に見合う70キロ台の体重をキープしつつ、豊富なスタミナを蓄えた。
スポンジの吸収力で力をつける選手に手応えを感じ、福嶋正信監督(62)は決めた。「甲子園に行って本気で勝ちたい。今年はセンバツに出た時と違って総合力が高い」。モットーの全員野球を傍らに置き、例年より約1カ月早い5月中に91人の部員をおおよそ絞り込んだ。限られた練習時間の中で量のメリハリをつけ磨き上げ、準々決勝の安田学園戦を「ファウル→ホームラン→ファウル」の判定騒動に動じず突破。私学の強豪を連続で上回り「監督になって約40年。初めて帝京を倒したよ」と笑った。
OBで14年センバツに「21世紀枠」で出場した際のエース、伊藤優輔投手(4年=中大)も打撃投手を務めてくれた。甲子園春夏出場となれば都立初の快挙。戸谷は「新しい歴史をみんなで作りたい」と言った。ジャイアントキリングじゃない。強い小山台が、一丸で二松学舎大付を倒す。【和田美保】
<小山台の工夫の練習>
現役で東大合格者を出す都内屈指の進学校で、平日は午後3時過ぎから5時まで集中して練習する。校舎は東急・武蔵小山駅から徒歩約10秒。都会のど真ん中にあるため、グラウンドも60メートル×90メートルと狭い。実戦練習を積むことができるのは、他校のグラウンドと河川敷を借りられる週2回だけ。自校のグラウンドは他のクラブも共有で使用できないことも多く、駐輪場や駐車場が第2のグラウンドになる。
ウエートトレーニングやバドミントンの羽根を打つ練習をし、生徒昇降口前のガラス扉を鏡に見立ててボールなしでフライやゴロの捕球をイメージする「エア守備」も行う。いっぺんに練習する場所が確保できないため、毎日8人1組や、10人1組で能力を高めるグループ練習も行う。ポジション、体重、学年、能力など区分けは何十種類もある。試合当日の朝は、学校のグラウンドでハーフ打撃を行い速球に目を慣らす。知恵を絞って不利を補う「小山台式」だ。