昨年9月の胆振東部地震から半年。選手寮が損壊するなど大きな被害を受けたむかわ町の鵡川高野球部は、復興へと一歩ずつ歩を進めている。ナインは6日正午、消防署のサイレンとともに室内練習場で黙とうをささげた。

温かい食事が食べられることのありがたさ。鬼海将一監督(34)は「まだ不安なことも多いが日常を取り戻しつつある。ここまで来れたのは大変な環境の中で“食”を支えてくれた寮母さんの力が大きい」と感謝する。同町と近隣市町村から通う寮母4人は、自らも被災しながら選手を支え続けた。震災から6日後の9月12日からは、いつも通り、1日20キロのご飯を炊き、食べ盛りの選手の胃袋を満たしてきた。

親子2代に渡り、寮母を務め勤続20年になる鎌田則子さん(59)は「自分の子供と一緒ですから。少しでも温かいものを食べさせて元気にプレーしてほしい」と話す。選手たちは被害を受けた寮を離れ、11月中旬から生涯学習センター報徳館に避難。昨年末に学生寮となる仮設住宅が完成し、1月中旬に移り住むまでを過ごした。「報徳館では集団で雑魚寝状態でした。感染症が心配だったが、みんな元気に過ごせたのは食の力が大きい」と鬼海監督。内海陸主将(2年)は「感謝の気持ちはプレーで返していきます」と力を込める。

1日の卒業式で3年生を送り出した後は、新入生を迎える準備が急ピッチで進んでいる。仮設の学生寮は被災していない1年生は原則、入居対象外のため、同町が卒業した3年生の10部屋分を買い取り、併設させて対応する。親元を離れ、そこで集団生活をスタートさせる1年生をサポートするのも、やはり4人の寮母。事務を兼務する本間好美さん(49)は「(自分たちが)元気やパワーをもらっています。日々の成長を見られるのがうれしい」と笑った。【奥村晶治】

▽高橋はるみ道知事は6日の定例記者会見で地震発生から半年を受け「犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、被災者にお見舞い申し上げる」と述べた。被害が大きかった厚真、むかわ、安平の3町の復旧、復興は着実に進んでいるとした上で、2月21日に最大震度6弱の地震が起きたことを踏まえ「道民の安全安心を守るために、緊張感を持ってこれからも対応していかなければならない」と話した。

<鵡川ナインの震災後>

18年9月6日 被災直後に部員全員が一時帰省。

同12日 1週間ぶりに練習再開。

同14日 秋季全道大会室蘭地区予選初戦で苫小牧工に2-6敗退。

同15日 最初のボランティア活動として、避難所だった報徳館の清掃に従事。

同22日 滝川西とイチゴ農家で共同ボランティア活動。

10月5日 選手寮の基礎部分の損壊が確認され、長期移住が危険と報告を受ける。

同10日 むかわ町が仮設寮建設の方針を決める。

11月13日 報徳館へ避難開始。

同16日 調理設備が整い、報徳館への避難完了。

同29日 内閣府から仮設寮建設への補助金交付が認可され、建設が決定。

19年1月15日 学生寮仮設住宅での生活を始める。

2月3日 岩見沢市内で除雪ボランティアを行う。

3月1日 卒業式

◆鵡川高 1952年(昭27)創立の道立高で野球部は88年創部。甲子園は春3度(02、04、09年)出場。21世紀枠で初出場の02年は1回戦で三木(兵庫)を下し初勝利。04年も八幡浜(愛媛)を下し、甲子園通算2勝。02年出場時のエース鬼海監督は17年7月就任。OBには05年まで日本ハムでプレーした池田剛基氏らがいる