さらば平成、ありがとう平成。30余年にわたる平成が終わります。あんなことがありました。こんなこともありました。プロ&アマ野球、サッカー、芸能、社会、中央競馬…と平成を通してがっつり取材してきた日刊スポーツ大阪本社のベテラン記者陣が、それぞれの分野での取材を振り返りながら、平成を語ります。

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聞こえてきた声で、われに返った。「歴史に残るゲームだ。そんなゲームを今、見てるんだよ」。甲子園記者席で隣の共同通信社の担当が叫んでいた。平成10年(98年)、第80回全国高校野球選手権大会準々決勝。PL学園(大阪)と横浜(神奈川)との試合は延長に入っていた。

「平成の怪物」と呼ばれる横浜のエース松坂大輔に対し、同年選抜大会準決勝で惜敗した西の横綱がリベンジを挑んだ。PL学園が先手を取り、横浜が追いつき、延長では先んじる横浜にPL学園が2度追いついた。真夏の記者席で、鳥肌が立った。

試合後、延長17回に決勝弾を浴びたPL学園のエース上重聡に近寄った。「こんな楽しい時間は初めてでした。いつまでも終わらないでくれ、そう思えた試合でした」。上重は笑っていた。それから21年。今は日本テレビでマイクを握る上重アナと4月初旬に東京ドームで話した。「あの言葉は忘れませんよ」と言うと、上重アナは「ぼくもですよ」と笑った。

全国の球児の理想、想像を超えた選手が松坂だった。その相手と存分に投げ合えた。勝敗を超え、日々の取り組みが間違っていなかったことを実感できた。球児の幸福を、記者として取材することができた。さすが甲子園、と思えた1日だった。