智弁和歌山が快勝した。東妻純平捕手(3年)が先制、勝ち越しと適時打2本で活躍。捕手の大先輩である中谷仁監督(40)に夏の甲子園初白星をプレゼントした。

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勝利後のお立ち台。中谷監督が2メートル弱の距離でインタビューを受けている。文句なしの活躍で「隣席」を勝ち取った東妻は、チラリと“師匠”を見て「絶対、この夏に監督を胴上げしたいです」と宣言した。

4回2死一、二塁から先制の左前打。すぐに同点とされ、嫌なムードがあったが、6回に今度は勝ち越しの右中間三塁打。これで打線が目覚めた。春は4番だったが、勝負強さを買われ夏は6番。中谷監督がこだわった打順で完璧な仕事をした。

エリートが地獄を見た。春の近畿大会で智弁学園(奈良)に逆転負け。初めて途中交代を命じられた。プロ野球阪神などで捕手だった中谷監督の厳しい指導が始まった。練習試合でもすぐに交代。最短2回でマスクを脱がされた。配球を考え過ぎて混乱し、常識外のサインを出すことも。頭を冷やすために1人で延々と走ったこともあった。

中谷監督はプロ志望の東妻にあえて高校生のうちに試練を与えた。東妻は乗り越えた。和歌山大会はわずか1失点。この日も投手2人をリードして1失点で快勝に攻守で貢献。「しっかり階段を上っている。将来性のある捕手です。今日は安心して見ていた」と監督は目を細めた。

東妻、黒川、西川の3人は史上10~12人目となる5季連続の甲子園メンバー。3年生は中谷監督のコーチ就任と同時に入学した“同期”だ。入学直後、中谷コーチと誓ったのは「この代で必ず日本一に」。00年夏以来の頂点へ、充実のスタートを切った。【柏原誠】

<甲子園での智弁和歌山VS明徳義塾>

平成の甲子園勝利数では1位大阪桐蔭に次ぐ2位の智弁和歌山と3位の明徳義塾が2回戦で対戦する。過去2度対戦し、いずれも明徳義塾が勝っている。

◆02年夏決勝=明徳義塾7-2智弁和歌山 明徳義塾は3回に先制し、4回には2本塁打。7回には主将の森岡良介内野手(3年)の2点三塁打で加点。田辺は危なげない投球で完投し、明徳義塾が甲子園初優勝を果たした。

◆14年春1回戦=明徳義塾3-2智弁和歌山 1-1で延長戦となり、延長12回、智弁和歌山が本塁打で勝ち越したが、その裏明徳義塾はスクイズで追いつく。延長15回裏、明徳義塾は1死満塁から相手投手の暴投でサヨナラ勝ちを収めた。