星稜(石川)が延長タイブレーク14回の激闘の末、智弁和歌山をやぶり8強入りを決めた。今秋ドラフト1位候補の星稜・奥川恭伸投手(3年)が23三振を奪い、3安打1失点完投した。

過去の夏の星稜伝説を振り返った。

◆速球王現る 76年に夏2度目の甲子園に出場し、2年生エース小松を中心に4強に進出。4試合のうち2試合を1-0完封で勝ち上がるなど、快速球で甲子園を沸かせた。中日入りした後に150キロの速球で「スピードガンの申し子」と言われた男のデビュー。星稜の名も全国に知られるようになった。

◆悲運の一邪飛落球 79年の3回戦で箕島(和歌山)と対戦。1点リードの延長16回2死走者なしから箕島・森川がファウルフライを打ち上げるも一塁手が落球。限りなく勝利に近づいた瞬間を逃すと、直後に左越え本塁打を打たれ同点に追いつかれた。結局、延長18回に箕島・上野に左前適時打を許しサヨナラ負け。星稜・堅田が208球、箕島・石井が257球でともに投げ抜く熱戦だった。

◆ゴジラの5敬遠 92年2回戦で明徳義塾(高知)と対戦。希代のスラッガーとして注目されたゴジラ松井は、明徳義塾・馬淵監督の指示で全5打席敬遠され、2-3で敗れた。5回は1死一塁という普通なら敬遠はありえない状況で球場は騒然。9回に5個目の四球となった直後は、観客席からメガホンなどが投げ込まれた。勝利至上主義の是非など、高校野球のあり方を考えさせられる一戦となった。

◆タイブレークの悲劇 18年2回戦で済美(愛媛)と対戦。この大会から導入されたタイブレークに突入した。延長13回、2点をリードして迎えた守り。6番手で登板していた寺沢が済美・矢野に右翼ポール直撃の逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びた。7-1とリードの8回に8失点で逆転され、9回に2点を奪い返して突入した延長戦。11-13の死闘だった。