新型コロナウイルスとの闘いが、今なお続いている。緊急事態宣言が全国規模になり、1学期を迎えられない状況に多くの教育現場は苦悩。全都道府県で春季大会が中止となった(打ち切り含む)。一方で全国高校野球選手権大会開催を待ち望む球児に応えようと、全国の高野連も模索する。阪神・淡路大震災による開催中止の危機を乗り切った1995年春の経験を今につなげる方策を、日本高野連元事務局長の田名部和裕同高野連理事(74)に聞いた。【取材・構成=堀まどか】

季節の花は桜から、つつじに移ろうとしている。まだ球音は戻らない。選抜大会に続いて、春の各地区大会が全国で中止になった。95年阪神・淡路大震災、11年東日本大震災による開催危機に見舞われながらも球史をつむいできた高校野球が、沈黙したままだ。

田名部 95年のときは、状況が徐々に回復。見通しがついてきましたが、今は状況が日々悪化して見通せない。25年前は被災地だけが大変な窮地にあったが、今は全国規模。外国とも行き来を遮断し、支援もない。見えない敵と闘わなければならず、センバツはメドがたたない状況になってしまいました。

阪神・淡路大震災は、甲子園のある兵庫県西宮市が被災地だった。災害復興への配慮として、復興車両の妨げにならないように出場校の移動は公共交通機関を使う、被災地の小・中学生を大会に招待するなどの案を決めた。計画を周辺自治会に説明し、理解を得る努力を続けた。今も、カギは周囲の理解になる。

田名部 大会ができるかどうかということを持ち出せる雰囲気があるかどうか。今は教育現場が必死で対策を考えておられる。出席日数が大幅に足りず、学力の不足を解消しようと努力されているところ。そのことが一番だから、部活の話をどこまで持ち出せるか。

通常の学校生活が始まり、部活に打ち込める環境が整ってこそ、夏の大会開催を求める機運も生まれる。球音復活を後押しするのは、それを望む市民感情だ。

25年前の2月15日、田名部は牧野直隆日本高野連会長らと貝原俊民知事(ともに当時)を訪ね、センバツの準備状況を報告。知事は「桜の花の咲く頃には明るいニュースも必要でしょう」と応じた。主催者に勇気を与えた言葉だった。

田名部 どこかで一般市民感情として明るいニュースに対する受け止め方が変わってくる時期に(大会開催への動きが)うまくはまればいいのですが。

夏の大会開催は、安全が確保されることが大前提。コロナ禍で傷ついた社会の再生へ、スポーツが後押しになる雰囲気が生まれれば。95年の経験を踏まえ「やれることはある」と田名部は語る。

田名部 こういう工夫をしているというモデルケースができれば。勉強とのバランス、感染拡大の防止、健康管理もこうやっているのを、全国のネットワークを駆使して情報を集めて参考にする。想像力をたくましくして、どんなことができるかを前向きにとらえる。そういうことが必要じゃないかなと思います。

被災センバツを運営した第6代事務局長は、見えない敵と闘う現高野連の苦労を思いながら、道が開けることを願った。(敬称略)