父譲りの広角打法で父、祖父の果たせなかった甲子園出場を狙う安打製造機が創志学園(岡山)にいる。阪神、日本ハムなどで活躍し、現在はDeNAの坪井智哉1軍打撃コーチ(46)の長男・洸之介内野手(2年)だ。祖父・新三郎氏(74)は元中日の内野手。将来3世代となるプロ入りも目指し、受け継がれた打撃力に磨きをかける。

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右足をヒョイッと上げる構え、そしてスイングした後は振り子打法ではないが、父の姿とダブる。坪井洸之介は、フリー打撃でも、左右に鋭い打球を打ち分ける。「全然、まねしてないんですが、たまに似てると言われますね」と笑う。小学5年の時、右打ちから父と同じ左打ちへ。「右でも悪くなかったが、当時はアベレージヒッターだったので、左の方が一塁にも近く、打率も高くなると父から言われました」。6年から中学3年まで、父に命じられ坂道や階段を走ったことで、創志学園でもチームトップの50メートル6秒0の快足となった。

「3番遊撃」としてこの秋の岡山大会を制した。4試合すべて逆転勝ち、3試合がサヨナラ勝ちだった。倉敷商との準々決勝では2点を追う9回、先頭で一塁へヘッドスライディングする内野安打を放ち、3点を奪うサヨナラ劇に導いた。この時左肩を亜脱臼した。「しようと思ってしたプレーではなくて、先頭が出塁しないといけないという強い思いから、気付いたら飛び込んでいました」。主将で4番の岡崎虎太郎外野手(2年)も「初めて見た。そういうことをする選手ではない。普段はクールなのに」と驚くプレーでチームに火が付いた。幸い手術することなくインナーの筋肉を鍛えリハビリと強化を続けている。

切り込み隊長として1番に起用された中国大会では1回戦で宇部鴻城(山口)に4打数無安打に抑え込まれ敗退。春のセンバツは絶望的となった。「甲子園で勝てるチーム」と神戸から岡山へ来た。「冬の練習を妥協せずやれば、夏の甲子園にも近づく。打撃では打率5割以上打てるように」と、父、祖父が果たせなかった甲子園出場へ、最後の夏に懸ける。「今の実力でプロに入っても後悔する。大学や社会人でもっと練習してプロに行きたい」。3世代でのプロ入りも目標としてブレない。

阪神・西純矢投手(19)ら多くのプロを輩出してきた長沢宏行監督(67)は「父に似て打撃は当てるのがうまい。独特ですがコンパクト。良くなってきている」と成長に手応えを感じている。夏は必ず父譲りの打撃力を甲子園で披露する。【石橋隆雄】

▽今秋の創志学園はフィールド上に3人の捕手がいた。主将で4番の岡崎は右翼、背番号2の池田将太(2年)が一塁を守った。マスクをかぶったのは背番号12の栗山尚也(2年)。二塁送球1秒70の強肩が武器の身長180センチの大型捕手だ。「練習中はライバルだが、あの2人は試合では必要」と3つの頭脳でチームを支えている。1年生投手も力をつけ、エース争いも激しくなっている。

◆坪井洸之介(つぼい・こうのすけ)2004年(平16)3月24日生まれ、神戸市出身。高倉台小4年から高倉台少年野球団で軟式野球を始める。遊撃手兼投手。6年時にオリックスジュニアに選出。井吹台中では硬式の神戸中央シニアで二塁手としてプレーし、3年春に全国選抜大会準優勝。創志学園では1年秋からベンチ入り。二塁、外野を守り2年秋から遊撃手。176センチ、73キロ。右投げ左打ち。

◆坪井智哉(つぼい・ともちか)1974年(昭49)2月19日生まれ、東京都出身。PL学園-青学大-東芝を経て、97年ドラフト4位で阪神入団。振り子打法で話題を呼んだ好打の外野手。1年目に2リーグ制後のセ・リーグ新人最高となる打率3割2分7厘で、連盟特別表彰。03年から日本ハムに移籍し11年はオリックス。12年から米国の独立リーグでプレーし、14年8月に引退。15年からDeNAのコーチを務め、来季も1軍打撃を担当する。NPB通算1036試合出場。打率2割9部2厘、32本塁打、265打点。177センチ、77キロ。左投げ左打ち。

◆坪井新三郎(つぼい・しんざぶろう)1946年(昭21)2月27日生まれ、大阪府出身。PL学園-PL教団-マツダオート名古屋-富士鉄名古屋を経て、69年ドラフト外で中日入団。三塁、遊撃、二塁を守るユーティリティープレーヤーだった。76年に太平洋(現西武)にトレード移籍。77年に「信三路」に改名し、この年限りで引退した。現役時は168センチ、65キロ。右投げ右打ち。