2年ぶりに開催された夏の甲子園の決勝は「智弁対決」になった。智弁学園(奈良)は先発小畠一心投手(3年)が9回1失点完投&決勝3ランの大活躍で京都国際を下し、同校初の夏決勝に導いた。

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小畠のレフトへの飛球が浜風に乗った。打球は伸びてフェンスを越えた。先制の3ラン。本人も驚きの1発が決勝点になった。

小畠 レフトフライかと思って、最初はダッシュしていた。周りの反応が、『おー』と変わったんで、もしかしたら、と走っていました。たまたまに近い。まさかのホームランでした。

チームを救う1発だった。0-0の4回1死一、三塁でスクイズを見破られ、三塁走者が憤死。チャンスを逃したかに見えたが、植垣が四球で歩いた2死一、二塁で平野のスライダーを捉えた。小坂将商監督(44)も「びっくり」の高校2本目の千金弾で仲間のミスを取り返し、自身を強力援護した。投げては9回3安打1失点で3回戦の日本航空戦に続く2度目の完投。エース西村王雅投手(3年)を温存する投打の大車輪だった。

決勝は智弁和歌山との「智弁対決」になった。長い103回の歴史でも、夏の決勝では初の兄弟校対決だ。修学旅行の行き先も同じで「朱赤」のユニホームもそっくり。小畠は「たぶん見ている方は、どっちかわからないと思う」と笑いながらも、「智弁学園が本校なので負けるわけにはいかない」ときっぱり言った。

智弁学園は1965年(昭40)の創部だが、14年後の79年に誕生した智弁和歌山に甲子園の出場回数、優勝等の成績で上をいかれた。小坂監督は「和歌山に比べて奈良は、と言われて悔しかった」と苦節の時代を回想したこともある。そしてこの日「成績は和歌山が上。肩身が狭い時もあった。自分自身も意地がありますし、向こうも意地あると思う。しっかり粘り強く、絶対勝ちたい。絶対負けたくない」と必勝を誓った。近畿大会を含めた公式戦の智弁対決は2勝2敗だが、甲子園では前回02年に敗れたリベンジもある。奈良が和歌山に、本校の意地を見せる時がきた。【林亮佑】

◆小畠一心(おばた・いっしん)2003年(平15)8月30日、大阪府堺市生まれ。堺市立東三国ケ丘小学校ではソフトボールチームの東三国ケ丘レグルスに所属。堺市立長尾中学校ではオール住之江ヤングに所属し、3年時にU15日本代表に選出。智弁学園では19年夏の甲子園で1回戦の八戸学院光星戦で先発し、甲子園デビュー。185センチ、86キロ。右投げ右打ち。

◆智弁学園 1965年(昭40)創立。生徒数は431人(うち女子は181人)。野球部も同年創部で部員は55人。甲子園は夏は20度目、春は14度出場で優勝1回。主なOBは高代延博(元日本ハムほか)、岡崎太一(阪神スカウト)、広岡大志(ヤクルト)、岡本和真(巨人)、村上頌樹(阪神)ら。所在地は奈良県五條市野原中4の1の51。手塚彰校長。

◆奈良県勢の決勝 春夏通算5度目で、夏は90年優勝の天理以来31年ぶり。過去4度の決勝はすべて勝っており勝率10割。

◆奈良対和歌山 02年夏の「智弁対決」を含め甲子園での対戦は春夏通算で過去2度しかなく、奈良の2連敗となっている。

◆隣県対決 夏の決勝が隣り合う都道府県同士の対決になったのは、81年の報徳学園(兵庫)2-0京都商(京都)以来40年ぶり。

◆近畿勢同士の決勝 97年の智弁和歌山6-3平安以来24年ぶり。

◆系列校同士の対戦 最近では今年センバツ1回戦の東海大相模3-1東海大甲府以来。夏の決勝では初めて。春の決勝では72年に日大桜丘、日大三の東京勢決戦があり、日大桜丘の「ジャンボ」こと身長190センチの仲根が、前年優勝の日大三を散発2安打に抑え5-0で完封勝ちした。智弁和歌山と智弁学園は甲子園で02年夏3回戦で1度対戦し、智弁和歌山が7-3で勝っている。

▽京都国際・中川(4番捕手で森下と平野をリード)「ベスト4が最高なので、次は決勝に行って優勝してほしいです。

▽京都国際・金田(主将の中川に感謝)「チームの司令塔。試合でも視野が広い。下級生の面倒もみていてすごいなと思います。

▽京都国際・小牧監督(3年生に)「京都国際の歴史を切り開き続けてくれた。3年生の頑張りがこういう結果を生んだ。ありがとうの一言です。