近江が滋賀県勢初の甲子園優勝を逃した。前日の準決勝で170球を投じたエース山田陽翔(はると)投手(3年)が、3回途中3安打4失点(自責3)でKO。0-2の3回無死一塁で大阪桐蔭の松尾に2ランを浴び、直後にマウンド上からベンチに向かってタイムを要求。その後自ら「交代」のサインを出す異例の光景だった。45球で決勝を終えた山田は「これ以上チームに迷惑をかけるわけにはいかないと思い、監督に降板をお願いしました」と、説明した。

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今大会5試合で594球。満身創痍(そうい)だった。ブルペンから直球にキレがない。最速148キロ右腕が、この日は130キロ台前半にとどまった。「前の日に170球を投げていたので、ボールにうまく力を伝えられていなかった。変化球で低めに集めることを(捕手の)大橋と話していたのですが…」。ごまかしの投球では、大阪桐蔭に通用しなかった。

山田はしきりに「滋賀で日本一になりたい」と話してきた。心に決めたのは18年夏の「カナノウ旋風」。県立で、地元選手だけで、金足農(秋田)は夏準5に輝いた。エース吉田輝星(現日本ハム)を中心とした快進撃が、山田の目に焼き付いた。だから強豪校の推薦を断り、地元の近江を選んだ。

その覚悟はずっと本物だった。昨夏の甲子園。2回戦で大阪桐蔭を破った。だが、相次ぐ雨天順延で調整にズレが生じていた。試合後、右肘に激痛を覚える。山田は多賀章仁監督(62)にも、コーチにも秘密で痛み止めを飲んだ。「コロナで修学旅行にも行けなかった3年生のために」。3回戦から準決勝までの3試合は傷だらけだったが、先輩たちと頂点が見たい一心だった。

今春も同じ。突然の代替出場が決まり、長崎日大との1回戦でいきなり165球を投げた。それでも翌日はチーム一番乗りで練習に参加。準決勝では、左足に死球を受けながら気迫の続投で勝利に導いた。山田を動かすのは全て「滋賀で日本一になりたい」思いだけ。その姿にナインも「慕っているキャプテンです」と、口をそろえた。悲願はお預けでも、相次ぐ力投には胸を張っていい。

コロナ集団感染で辞退した京都国際の代替出場で準5。近江の快進撃に、試合後は惜しみない拍手が送られた。「夏に帰ってきます」と話した山田の目に、涙はなかった。【只松憲】

 

▽近江・大橋(山田について)「昨日の死球があって、走るのもできないくらいの状態で投げていたので、だいぶ苦しかったと思う」

▽近江・星野(2番手として登板)「山田が限界がきていた中で絶対に助けたいという気持ちで投げた。しっかり自分が投げきれていればという思いが強くてチームに申し訳ない」

▽近江・横田(初回、先頭打者の飛球を落球)「初回、レフトへのフライを自分が落としてしまってから悪い流れになった。そのままずるずるいって点差が開いてしまい戦いづらかった」