Dシードの常総学院がサヨナラ負けを喫し、初戦で姿を消した。

左中間へ飛んでいく打球を、二塁の守備位置で太田和煌翔主将(3年)は見送った。「信じられない。夏が終わった…」。5-5の10回裏、1死一、二塁で科技学園日立の網野隼斗外野手(3年)に打たれた。サヨナラ二塁打。本塁後方で、打たれた坂本駿投手(3年)は膝から崩れ落ちた。歓喜に沸く科技学園日立ナイン。対照的なシーンが浮かび上がった。

「秋、春とふがいない結果で。夏こそは甲子園に行こうと再スタートしたのですが。このような結果を受け止めて、次のステージに上がりたいです」

気丈に口を開いた太田和だが、話していくうちに涙がほおを伝った。

流れが悪すぎた。初回、1死一、三塁をつくったが、川上の鋭い打球は二直。スタートを切っていた一塁走者が戻れず併殺で先制機を逃した。2回にバルザーの犠飛で1点先制するも、その裏に先発の石川が3点を失う。味方の失策も絡んだ。4回に1点を返すも、相手の軟投派左腕、与板巧望投手(3年)を打ちあぐねた。直球は120キロほどだが、90キロ台の変化球を交えられ、ゴロとポップフライが続いた。ベンチの指示は「多めにくる変化球を狙おう」。だが、捉えきれない。太田和は「変化球を捉えられず、ストレートに手を出してアウトになってしまった。それが負けにつながった」。7回途中まで投げられた。

その7回に3点を奪い逆転するも、8回に2点を失い同点を許した。6回から登板したエース坂本が2死走者なしから3連打を浴びた。9回表には、犠打失敗があった。攻撃がちぐはぐとなり、最後は延長サヨナラ負けとなった。

昨年は春のセンバツに出場。夏も県決勝まで進んだ。だが、新チームとなり、昨秋は2回戦、今春は3回戦で敗れた。春夏甲子園通算42勝の常総学院が、だ。太田和は「常総の名前だけでは勝てない。練習では、一番下の『挑戦者』の気持ちでやってきました」。常に100%で練習できているか? 主将として、チームに声をかけ続けた。

練習の成果は、一時勝ち越しの場面に表れた。1点を追う7回、無死二塁から太田和が中前に同点打。犠打のサインではなかった。島田直也監督(52)の「あいつならかえしてくれる」という思いに応えた。なお1死二塁で、川上の打球は三飛。平凡なフライだったが、三塁手が落球した。ファウルゾーンを転々とする間、太田和は一気にホームへ。「普段から、打球を見るように練習していますから」。

だが、最後は競り負けた。太田和は涙をこらえながら、ナインに呼びかけた。「最後まで、ちゃんとやろう」。きれいに整列して、帰りのバスへ向かわせた。後輩にかける言葉を問われ、こう言った。「感謝の気持ちを持って。でも、背負いすぎず、プレーで引っ張っていって欲しい」。【古川真弥】

 

▽常総学院・島田直也監督 選手を成長させられなかった僕のせいです。中盤にダメ押しができず、最後も送りバント失敗。いっぱいありました。今後、その失敗を胸に、次につなげていって欲しい。(夏初戦で)多少の緊張感はあったと思いますが、秋、春と実績を出していないチーム。「自分たちは弱いんだ、相手関係なくやるんだ」と話してきました。科技学園さんの方が「やってやる」という気持ちが強かった。プレッシャーを感じずに、練習通りにやってくれれば良かったのですが。勝ちきれないのは、僕のせいです。

◆常総学院 83年の学校創立と同時に野球部創部。夏の茨城大会は84年から参加し、21年まで過去出場した37大会は全て初戦突破していた(20年の独自大会は含まず)。84年夏の甲子園で取手二を優勝に導いた木内幸男監督が同年9月に就任し、甲子園の常連に。甲子園には春10度、夏16度出場し、01年春、03年夏に全国制覇。主なOBは島田直也、仁志敏久、金子誠ら。

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