23点差で迎えた4回裏。松陰・深沢の杉田祥悟内野手が3番手としてマウンドに立った。その1球目は、高い金属音とともにはじき返されたが、三塁手の飯田潮音が軽やかにつかんでアウトにした。

笑顔で返球する飯田と、大事そうに受け取る杉田。2人はともに、両校で唯一の3年生だった。

昨夏まで単独出場していた松陰の杉田は、気さくな先輩たちが引退すると、こう声をかけられた。「1人だけど頑張れよ」。笑いながら励ましてくれた。

自分も同じ立場だったら、きっとそう言う。でも同時に、何をどう頑張ればいいのか…とも思ってしまった。1学年下の後輩には部員が2人いるが、時間割によっては放課後に1人で練習することもある。「そりゃ寂しいですよ」。苦笑いを浮かべて本心を吐露する。

でも、顧問の星一夫先生(55)は、一緒に話をしながら練習に付き合ってくれた。2人の後輩も、楽しそうにトスバッティングやノックに励んでいた。それを見ると、辞める選択はできなかった。

深沢の飯田も、ただ1人の3年生部員として、小1から始めた野球を続けた。杉田と同じく、1人で練習に取り組む時間は長かった。黙々と素振りをしたり、壁当てをしたり。つらい思いもあったが、自分と向き合う時間にもなった。「思い通りに投げられない時期は、ボールの投げ方を研究して改善していた」

それに、いつも1人だったわけではない。「後輩たちが元気よく野球をしていて、その姿を見ると、自分が辞めることはできなかった」。4人の後輩のおかげで、野球を続けられた。

迎えた14日の試合。飯田は初回に3つの打球を好捕した。アウトをもぎとるたびに、緊張していたナインの表情が柔らかくなった。

杉田は第2打席に、初球を鮮やかに右前へ運んだ。23点差の4回からは遊撃からマウンドに上がり、いつもは投げない変化球も交えて、この試合で初めてスコアボードに「0」を刻んだ。

2人は最後の夏、まぶしいくらいに輝いた。

結果は0-23の5回コールド負け。それでも、後輩たちへ、先輩の背中を示すことができた。

「人数が少なくて、練習場所がなくても、やれることをやるのは大切だと伝えられた」と杉田が言えば、「ミスをしたり、三振をしたりしても、切り替えて前のめりに戦うことはできた」と飯田も控えめながら胸を張った。

ついてきてくれた後輩たちへ、杉田はもう1つ、こんな言葉も残していた。

「新しく1年生も入ってきて、こうして連合チームも組めた。後輩たちへ“良いつなぎ役”はできた」

後輩たちも、きっとつないでくれるはずだ。どんな状況でも努力し続ける大切さと、苦境に立ち向かう強い心を。【藤塚大輔】