<全国高校野球選手権:聖光学院3-2横浜>◇9日◇2回戦◇甲子園

闘い抜いた1年間だった。2-3と1点リードを許す6回、横浜(神奈川)の主将・玉城陽希捕手(3年)の好守が光った。無死一塁、捕手前に転がったバントを間髪入れずに二塁へ送球し、封殺。続く1死一塁では二盗を阻止した。

持ち前の守備力で支え続けた扇の要だが、6日の開会式での選手宣誓で「ケガで思うように野球が出来ず、グラウンドにさえ立てない時期も続きました」と話したように、これまでの過程は決して順風満帆ではなかった。

昨夏の県大会でアクシデントが続いた。3回戦、一塁手だった玉城はフェンスに激突。4回戦前の練習では選手と交錯。短期間に2度の脳振とうを起こした。昨夏の甲子園は痛み止めを服用しながら出場。「ごはんも食べられず頭も痛い、という日々が続きました。痛み止めを飲まないと、野球が出来ない。痛み止めを飲んだら、胃がやられてずっとトイレにこもってしまうような生活でした」。体重は4キロ減っていた。

秋に受けた精密検査で、首、肩周りの神経が正常に動いていないことが判明。「脳にうまく血流が回っていないと言われました」。12月までは全体練習に一切参加出来ず、軽い運動しか出来なかった。それでも「純粋に野球がしたいと、自分の欲求に飢えていました」。野球に対する気持ちが折れることはなかった。それは全て、選手宣誓のフレーズ「ここに甲子園があったから」だった。

復帰後はブランクの影響で打撃練習では前にボールが飛ばなかった。捕手としても捕球の際、ミットの芯でボールをつかむことが出来なかった。後遺症があり、練習後に体温が上がってしまうこともある。それでも下を向かずに主将として率先して声を出し続けた。春の大会で実戦復帰。今夏を迎えていた。

2試合で安打は出なかった。最後はこらえていた涙を流しながら「3年間チームに迷惑かけてきた。復帰後は選手間で何回もぶつかって、監督ともぶつかった。それは勝ちたいという思いが自分の中で本当に有ったから。朝早くから夜中まで練習して、やれることはやったと思う。その環境を与えてくださった周りの方々、指導してくださった監督さん、コーチの方々に感謝したい。自分自身、成長させていただいた。『本当にありがとうございました』という気持ちです」と感謝を口にした。【阿部泰斉】

▽横浜・村田浩明監督(玉城主将について) 本当になくてはならない存在。人間が出来ているというか、高校生離れしているというか、野球以外の部分でも頼りになる主将。玉城がいたからこそ今がある。

▽横浜・杉山遥希投手(玉城とバッテリーを組んだ2年生エース) 自分の中では2人目の監督のように思っている。玉城さんがいなければ、絶対に甲子園に出ることもなかった。

▽横浜・緒方漣内野手(攻守の要の2年生) 玉城さんがいて、このチームが成り立っていた。