悲願の優勝旗「白河の関越え」達成を記念し、日刊スポーツの東北支社、支局に駐在した歴代の高校野球担当記者がさまざまな思いを語る「白河の関越え 思いを馳せる」第9回は、09~10年の高校野球担当・三須一紀記者です。

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「冷蔵庫」の異名を持つエース左腕・木村謙吾のキャラクターが、夏の甲子園に出場した10年の仙台育英ナインが持つチームカラーを集約していた。

その頃の東北球界は、09年センバツでエース菊池雄星を擁した花巻東(岩手)が準優勝し、久々に「白河の関越えムード」が沸き起こった時代だった。花巻東を象徴するのが一塁への激走。外野の芝生まで全力疾走するひたむきさが、見る人を引きつけた。

当時のみちのくは花巻東だけでなく、よく統率されたチームが多かったように思う。そんな中、仙台育英の球児たちは異彩を放っていた。統率よりも自由な発想力といった感じか。「やんちゃ」で物おじせず、良い意味で余裕っぷりを見せていた。

とある自主練習の時間、エース木村とキャッチボールをした。甲子園本番へ何か独自ダネになればと記者がダメ元で願い出た。

「全然いいっすよ」。最速145キロ左腕は手加減しつつも、徐々に球速を上げていく。サッカー出身記者は、初めて受けるスナップが利いた、伸びる球に恐怖を感じながら何とか捕球。そのたびに木村はケラケラと笑っていた。

冒頭の「冷蔵庫」は、楽天入団時に大きな冷蔵庫をジカに担いで入寮したことがきっかけでついたニックネーム。木村らしいエピソードの1つだ。ヤクルトなどで活躍した由規の弟貴規もこの世代。自宅の部屋に記者を招き入れ、取材を受けてくれた。チーム全体がアラサー記者とも友達のように接し、大人慣れしていた。

気負わず、楽観的に物事を見る彼らの良さが甲子園で開花する。1回戦の開星(島根)戦。3-5とリードされ、9回2死走者なしと追い込まれた。1点を返し、2死満塁で日野聡明が中堅へ平凡な飛球を上げた。

万事休す-。記者は取材場所へと降りるエレベーターに向かうためグラウンドに背を向けた。すると大歓声が耳に入る。振り向くと走者が本塁で抱擁。中堅手が落球していた。日野は続く延岡学園(宮崎)戦でも決勝打を放つことになる。

その裏もミラクルが起きた。2死一、二塁。誰が見ても「左中間真っ二つ」の鋭い当たりがサヨナラ負けを覚悟させる。打球の下には猛然と追うグレーの影。8回に守備位置を左翼に変えたばかりの三瓶将大だ。ボールの落下とともに身を投げ出した。スーパー・ミラクル・ダイビングキャッチ-。聖地がまた沸いた。

3回戦で沖縄勢初優勝を果たした興南に1-4で敗れた。木村は涙を見せず、ナインの背中をたたき励まし続け「今日のテーマは『笑顔』ですから。我慢しました。宿舎に帰ってから1人で泣きます」と言った。

仙台育英の歴史を見れば、3回戦敗退は平凡な記録だったのかもしれない。だが、東北初優勝を成し遂げた22年世代の礎には、記録より記憶に残った10年世代を始め、仙台育英野球部の門をたたき、そして出て行ったごまんといるOBの努力と汗がある。【09、10年担当=三須一紀】