喜界の双子バッテリーの最後の夏が終わった。

「入るな」。エースで弟の住友晴哉投手、背番号2で兄の晴城捕手(ともに3年)はそう祈った。だが、白球は無情にも左翼芝生席で弾んだ。1点勝ち越した直後の6回に同点とされ、なおも1死一、二塁から痛恨の3ランを許した。晴哉は「1球の重さが勝敗を分けてしまった。自信を持っている直球を打たれたので、後悔はないです」と言葉を振り絞った。

1発を許した直後に晴城がマウンドへ、弟の晴哉はマスクを被った。7回以降は息の合った投球で無失点投球。7回には無死満塁のピンチも乗り越えた。晴城は「弟(晴哉)から『打ちやがって』とか思いながら投げ込んだ」と振り返った。

試合に敗れ、涙を流した2人。涙の理由はもう1つあった。昨年の夏に母理恵さんが心不全で他界した。49歳だった。晴哉は「急に倒れた。兄(晴城)とは(母が)倒れる1時間前まで元気に話していた」。あまりにも突然の別れだった。一時は大好きだった野球とも約1カ月は距離を置いた。それでも、「周りの人の支えがあって、また野球ができるようになった。ほんとに感謝しかないです」と晴哉は目頭を押さえた。

喜界島から鹿児島市内までは約380キロ。海路で約13時間もかかる。そのため、6月30日に家を出た。仏壇では2人は手を合わせ、亡き母に誓った。

「これから頑張ってくる。天国で応援していてね」

1-1の同点で迎えた6回無死一塁で晴城は右中間へ、一時は勝ち越しとなる適時二塁打を放った。塁上では、右こぶしを天へ高く突き上げた。「心の中では『お母さんの応援のおかげで打てたよ』と思って…」と声を震わせながら、感謝の言葉を口にした。

悲しい現実を乗り越え、2人は高校野球を後悔なくやり切った。「家に帰って、『応援してくれて、ありがとう』とお母さんに伝えたいです」と口をそろえた。

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