高校野球の広島商で選手、監督として全国制覇を果たした竹原(広島)の迫田穆成(さこだ・よしあき)監督が1日、すい臓がんのため死去した。84歳。今秋まで指揮を執っていたが、体調を崩し療養中だった。

57年夏、広島商の主将として甲子園優勝。主に三塁コーチとして活躍した。67年から母校の監督になり、達川光男らを擁した73年センバツで江川卓の作新学院(栃木)を下して準優勝。同年夏の甲子園で頂点に立った。如水館(広島)での8度を含めて監督として計14度甲子園に出場し22勝。19年から竹原に移っていた。堅守と小技を駆使した「広商野球」を体現し広島県の高校野球をけん引した。

11月5日に更新した自身のYouTubeチャンネルで1年生大会の優勝を喜び「次は甲子園に出られるようなチームにしたい」と話していたが、これが最後の更新になった。

◆迫田穆成(さこた・よしあき)1939年(昭14)7月3日生まれ。広島市出身。現役時代は外野手。57年に広島商の主将として夏の甲子園優勝。67年に母校の監督に就任し、73年夏に甲子園制覇。75年に退任。93年から如水館(広島)の監督になり、春夏通算8度の甲子園に導いた。同校最高の8強に勝ち上がった11年夏が最後の甲子園になった。19年から竹原(広島)の監督。監督として甲子園通算14度出場で22勝。05年に高校日本代表の監督としてAAAアジア選手権優勝に導いた。