<高校野球宮城大会:仙台三5-3宮城水産>◇11日◇2回戦

 ちょうど4カ月前のことを思うと、このマウンドに立っているのが奇跡だった。「もう、戻れないと思った」。宮城水産の末永恭祐(3年)は、神妙な面持ちで言った。

 3月11日午後2時46分。同校海洋総合科マリンテクノ類型の末永恭は、太平洋の沖合にいた。マグロのはえ縄漁と船のエンジン整備の実習で、1月24日からハワイ沖に出ていた。震災発生から約5時間後、船内のファクスが新聞を受信した。「国内最大級の大地震」の大見出しが、目に飛び込んできた。

 ただ、石巻市雄勝町の家族と連絡を取るすべがない。360度、海だけが広がっている。地震の影響か、船は大きく揺れていた。「頭がおかしくなりそうだった」。言いようのない不安が全身を襲った。

 3月16日、船は航路を変更して神奈川の三崎港に着き、姉梓さん(21)と電話がつながって家族の無事を確認。その後、予定より1週間遅れの同27日に石巻に着いた。母淳子さん(50)は言う。「『いってきます』と出発して、帰ってきたら家がない。かなりショックを受けていた」。実家は波をかぶり、涌谷町にアパートを借りていた。

 「野球を最後までやり通せ」。船乗りの父豊さん(58)は、赤道付近でマグロとカツオを捕るため、4月10日に海へ出た。末永恭はこの日、2番手で登板し、4回を5安打2失点。チームも仙台三に3-5で敗れたが、来月にも帰港予定の父に、こう言おうと思っている。「負けちゃったけど、俺、最後まで頑張ったよ」。【今井恵太】