<全国高校野球選手権:大阪桐蔭5-2高崎健康福祉大高崎>◇22日◇準々決勝

 2年ぶりの全国制覇を目指す大阪桐蔭が、1番中村誠主将(3年)の勝ち越し2ランで、快進撃を続けた高崎健康福祉大高崎(群馬)を破り、4強進出を決めた。

 決勝弾のホームランボールも、ウイニングボールも、中村のものだった。9回2死、左翼を守る大阪桐蔭の主将が最後の1球をつかんだ。「福島が粘り強く投げてくれた。楽に投げさせたい一心でした」。仲間への思いやりがにじんだ。

 いつ何時でも、意識せずにはいられない。1年上の森友哉(西武)。「森さんは力、技術でもチームを引っ張れる。ぼくにはできないこと」。甲子園4季で5本塁打、11打点の前主将の存在感はまぶしすぎた。

 だがこの日は森に負けてはいなかった。2-2の7回に決勝2ラン、8回は3点差に突き放すダメ押し打。「甲子園で(9打数3安打と)打てなくて。焦りがありました」。前日21日の3回戦の最中、有友茂史部長(49)に「もっと振って行け」と声をかけられた。二飛に倒れたこの日の初打席後、西谷浩一監督(44)に「当てに行くな」と諭された。「原点に戻ってバットを振りました」。左翼スタンドに11号を運んだ。

 職人歴40年のすし職人、父勝さん(59)が握る牛の炙(あぶ)り握りが好物。福岡・糸島市の実家にいたころは平気で50貫たいらげた。食欲旺盛で向上心も旺盛。高校入学直後から主将を志し、練習も掃除も率先して動いた。だが主将就任後は、西谷監督に「人を動かしなさい」と言われた。中村の考えをチームに行き渡らせることも大事だった。

 大阪大会3回戦・大冠戦。初回裏の攻撃で、中村は顔に死球を受けた。救急搬送された病院で鼻骨骨折の激痛に苦しみながら、試合の行方に気をもんでいた。チーム一丸で逆転。帰寮後は、副将の香月らが部屋を見舞い「お前がいないときに、負けられんよ」の言葉を聞いた。甲子園という目標に向かい、みんなが動いていた。「いいチームになった」と思えた夜だった。

 大阪決勝を戦ったPL学園・中川圭太主将に「旗を持って帰ってきてくれ」と託された全国制覇。主将の森が立てなかった頂点へ、あと2勝だ。【堀まどか】

 ◆中村誠(なかむら・まこと)1996年(平8)4月30日、福岡県糸島市生まれ。可也小1年から「可也ジュニアロイヤルズ」で捕手として野球を始め、志摩中では「糸島ボーイズ」に所属し外野手。陸上でも中学3年間400メートル走で全国大会優勝。大阪桐蔭では2年春からベンチ入り。家族は両親と姉2人。50メートル走6秒0。遠投90メートル。177センチ、74キロ。右投げ右打ち。