巨人から西武に移籍した内海哲也投手(36)の今に久保賢吾記者(34)が迫った。宮崎市内から車を走らせ、巨人がキャンプを張っていたサンマリンスタジアム宮崎を通り過ぎ、海岸沿いをひたすら南下。長野が移籍した広島の第1次キャンプ地、日南の少し奥、南郷に向かった。内海を取材して12年目が見たサウスポーの今は。

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またがったマウンテンバイクは、自分と入れ替わってFAで巨人に入った炭谷銀仁朗の置きみやげだった。ライオンズブルーのユニホームをまとった内海は田園風景に飛び出していった。慣れた宮崎市内より、うんと冷えた。巨人入団以降、縁もゆかりもなかった南郷。2月2日の朝、いきなり迷子になったという。前夜に道順を聞いていたのに、その通りいかなかった。目指した練習場は108段の階段の下で、到着したのは階段の上。スタジアム正面だった。白い息を吐きながら、凍った108段を踏みしめた。

辻監督は「開幕ローテを」と言ってくれた。ここ数年とは明らかに違う期待感。それでも重圧とは無縁だった。

「すごくうれしいですし、その期待に応えたいなという強い気持ちはあります。でも、重いとか、不安はなく、むしろ気持ち的には楽な感じなんです」

敦賀気比高で名を売った。オリックスの1位指名を拒否し、社会人野球の東京ガスに入社した。3年後、憧れの巨人に入団した。祖父と同じ背番号「26」を背負った時から、原監督が繰り返した「個人より巨人」を守った。上原、高橋尚が抜けてエースを任されて以降「オレが引っ張っていかないと」の思いは一層強くなった。いつもそう思っていた。

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人的補償。肩の力が抜けた…と思っていたが、キャンプが始まって数日間は違和感があった。「このチームに何かを与えられるのだろうか」。巨人では当たり前だった役回りを果たすべきではないのか? 自問自答していると、1人の野球人が評論活動で南郷に現れた。昨年までの監督、高橋由伸氏(43)に穏やかな顔で「どう?」と聞かれた。「70~80%は自分の結果。あとの20%は若い選手に何とか手本になるようにと思ってやっています」と答えると、即座に返された。

高橋氏 お前は100%自分のことを考えてやれ。背中で見せるというのはお前は普通にやってればできるから、自分のことを考えてやればいいんだよ。

いつも「誰かのために」野球をしていた。高校3年の夏もそうだった。左肩の痛みを周囲に隠し、捕手にだけ「誰にも言わんといてや。俺はお前らと甲子園に行きたい」と伝えた。そんな男だから、西武入りが決まると、球友たちからは「これからは自分のために野球をしてくれ」と言われた。「100%は難しいけど…余計なことは考えないようにしよう」。

1人でアーリーワークを始めた翌朝、自らの意思で3年目の田村も倣った。選手会長の増田や武隈は、その姿勢に触れ、刺激を受けた。「本当にみんな良くしてくれる。楽しくやれています」。36歳。ユニホームや場所が変わっても、ありのままの内海哲也がいた。