楽天は10日、平石洋介監督(39)の退任を発表した。仙台市内の球団事務所で取材に応じた平石監督は「来年の監督のオファーはない、と。別のポジションでオファーをいただいた。それはありがたいこと。やったことがない仕事なので考えたい」と話し、用意されたポストについては結論を保留した。

その後、石井一久GM(46)が会見。「大前提として、中長期的に優勝を目指せるチームをつくっていかないといけない。そのようなチームをつくる時に昨年、今年と感じたことはバントやスクイズなどの精度やサインミスなどの多さ、走塁含め先の塁への意識改革が1年通して改善しきれなかった。これは今年起きた課題ではなく、僕が評論家時代から見る中で、長くイーグルスにある課題だと認識している。今後5年、10年と選手やスタッフが変わっても、チームカラーやプレーの伝統というものは受け継がれていく。今のチームには、その改革やチームの伝統の基礎をうまく促進できる方にチームを預ける必要があるのではないかと考えている」と退任理由を説明した。平石監督には「2軍統括」のオファーを出したことを明かし、その新設ポストについて「2軍における僕(GM)みたいなポジション」とした。

平石監督は昨年6月に1軍ヘッド兼打撃コーチから監督代行となり、同年10月から監督に就任していた。楽天の生え抜きで監督就任は初めてで、松坂世代としても初の監督だった。

昨年は21勝41敗1分けで勝率3割3分9厘だった時点で指揮を引き受け、代行就任後は37勝41敗2分けで勝率4割7分4厘とチーム成績を改善した。

今季はレギュラーシーズンで71勝68敗4分けの勝率5割1分1厘の成績を残し、チームを2年ぶりの3位に導いた。監督就任初年度のAクラス入りは、球団歴代7人目で初めてだった。

◆平石洋介(ひらいし・ようすけ)1980年(昭55)4月23日、大分県生まれ。PL学園では3年時に主将を務め、松坂大輔(現中日)擁する横浜と延長17回の死闘を繰り広げた。同大-トヨタ自動車を経て、04年ドラフト7巡目で楽天に入団。11年に現役引退し、通算122試合、37安打、1本塁打、10打点、打率2割1分5厘。12年から育成コーチなどを務め、ヘッド兼打撃コーチだった18年は梨田監督の辞任後に監督代行となり、今季から監督昇格。175センチ、75キロ。左投げ左打ち。