阪神藤原崇起オーナー(67=電鉄本社会長)が日刊スポーツの新春インタビューに応じた。3回連載の第1回は、就任1年目の昨年に3位でAクラス入りした矢野燿大監督(51)について、そしてチームへの思いをクローズアップします。【取材・構成=寺尾博和編集委員、松井周治】

-明けましておめでとうございます。新年を迎え、気持ちも新たかと思いますが、19年の3位をどう見ましたか

藤原オーナー(以下、藤原) 昨年のセ・リーグは各チーム、連勝もあるが、連敗も多かった。タイガースとしては自分のチーム状況を含め、その場その場でどういう作戦を練るか、変化の大きい中でどう対応するのか、そういうことが非常に試されたのではないかと思います。新しい人がいろいろ重要なところで起用され、投手でも救援陣の起用法などがあった。

-就任1年目だった矢野監督については

藤原 監督が(先頭に立ち)明るくいこうぜ、と。チームワークも素晴らしかった。(広い)甲子園(を本拠にするチーム)の宿命ですが、僅差のゲームが多い。143試合の約3分の1の45試合が1点差以内。勝利が20試合で、負けが19、引き分けは6試合でした。大きくどうしようもないということはなく、みんなが一生懸命やって非常に競る展開に。そういうゲームで指揮官が状況を考え、策を打っていった。その結果が、ああいう最後の6連勝に結びついたと思います。(Aクラス入りを決めた)ああいう指揮の仕方、すばらしかった。

-阪神の新人監督のAクラス入りは82年の安藤統男監督以来、37年ぶりだった

藤原 コーチとしてやって、ファーム監督をやって、冷静に自分のチームをながめながらやってきた成果が表れているのでは。ファームから活躍する選手が多く出てきましたよね。そういうこともファームで選手を見てきた経験を出されているのか、と。

-着実にステップを踏んできた。監督としてはその道が理想像かと思える

藤原 自分で判断する場を経験するのは非常に大きいと思いますね。経験の中で重要なものは、判断、決断をすること。それは何だというと、責任なんですよね。責任をともなう決断をする、判断をする、これが経験の中で大きいと思いますね。

-19年は新たな戦力が多く出てきた。野手では近本、木浪ら。投手でも島本、守屋らがいました

藤原 昨年は24~27歳という年齢の野手が並んでいました。同じような年齢の人が今まで以上にゲームに出た。20代半ばの選手たちが随分と修羅場をくぐりました。まさに修羅場ですよね、エラーも「ようけしたやないか」というのもあるわけですよ。これも経験。社会人出身の選手は土のグラウンドで、あるいはああいう広いグラウンドでやるのは少ない。ファームにいた選手にとっては、まあ甲子園の歓声はすごいですよね、貴重な経験だったと思いますよ。ですから、20年に必ず、生きてくる、と。

-矢野監督も真価が問われる年になる

藤原 真価が問われるというより、ファンのみなさんも優勝を望んでいますし、我々も望んでいます。その優勝を勝ち取るための経験を(19年は)随分と選手たちも積ませてもらいました。

-昨年11月の球団納会の席で藤原オーナーも「チャンピオンフラッグ」という言葉を出した。目標を日本一に設定するとおっしゃったと思うが

藤原 (成長するには)野球でも一般社会でも、競争ということが要るのでしょうね。ライバルがいれば、進化の速度が上がると思います。同じような年で、同じような選手が、切磋琢磨(せっさたくま)できる状況があり、タイガースにとっては非常に(チーム力が)伸びる要素として大きくある。ラッキーというか、いいことだと思います。

-では、今年も期待しています。ぜひとも35年ぶりの日本一を

藤原 甲子園のポールにチャンピオンフラッグを掲げて試合をしたいです。

-藤原オーナーを胴上げしますから

藤原 で、落とすんでしょ。(笑い)

◆藤原崇起(ふじわら・たかおき)1952年(昭27)2月23日生まれ。大阪府立大から75年に阪神電鉄入社。常務取締役などを経て、11年4月に代表取締役社長、阪神タイガース取締役、同年6月に阪急阪神ホールディングス取締役に就任した。17年4月から阪神電鉄の代表取締役会長、同6月から阪急阪神ホールディングス代表取締役を務め、同12月から球団オーナー代行者。18年12月1日付で球団オーナーに就任した。