静岡高野球部で18年センバツに出場し、1浪の末に今春、東大理科1類に合格した梅林浩大さん(19)がこのほど、日刊スポーツの取材に応じた。野球部入部の意思を示しており、東大では、高松高(香川)で05年センバツに出場して08年に入学した中村信博さん(現NHKアナウンサー)以来、12年ぶりに甲子園経験選手の誕生となる。

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難関を突破した梅林さんは、安堵(あんど)した様子で現在の心境を語った。「浪人した分、受験前には余裕があったのですが、試験後は不安に襲われて神社で毎日拝んでました。今は重しから解放されて、達成感とやる気に満ちています」。浪人期間中は、予備校で午前8時半から午後9時半まで勉強をする毎日。夏ごろまでは軽めの運動をする余裕もあったが、秋以降は勉強一色で追い込んだ。「あの生活をもう1年やるのはしんどいと思ったので、『今年こそ』の思いでした」と振り返った。

文武両道を志して、静高へ入学。野球部では、打力を武器に主に代打で起用された。甲子園での出番こそなかったが、聖地を経験。「甲子園へ行かせてもらったことで、大人と話す機会も多くなった。いろんな経験をさせてもらって、成長につながりました」。恩師栗林俊輔監督(47)からは準備の大切さも学び、「常に本番を想定して練習や勉強をするようになり、心に余裕を持てるようになった」と振り返った。

“甲子園球児”の肩書から、東大では注目される存在になる。「期待されるのはありがたいですが、気にしすぎずに自分のペースでやっていきたい」と冷静だ。チームは東京6大学リーグで44季連続最下位と低迷している。「自分の経験をチームに還元できたらと思う。できるだけ早く試合に出て、活躍する姿を見せたい」と力を込めた。

大学では宇宙工学を学ぶ予定で、夢は宇宙飛行士だ。中学生のころに図書館で科学雑誌「Newton(ニュートン)」を読み、宇宙への興味を抱いた。「宇宙の大きさが有限と知って、その外側はどうなっているんだろうと思った。考えれば考えるほど、宇宙はおもしろいと感じ、行ってみたいと思うようになりました」。甲子園、東大を経由して宇宙へ。大きな夢と可能性を手に、羽ばたいていく。【河合萌彦】

◆梅林浩大(うめばやし・こうだい)2000年(平12)11月26日、浜松市生まれ。小1から浜松エンジェルスで野球を始め、中郡中では4番を務めた。静岡高では2年秋からメンバー入りし、18年春のセンバツに背番号13でベンチ入りした。内野手。左投げ左打ち。180センチ、83キロ。血液型B。家族は両親と兄。