今から27年前の1993年(平5)5月2日、巨人松井秀喜外野手(当時18)がプロ初本塁打を放った。前日1日に1軍デビューし第2打席でプロ初安打、初打点となる適時二塁打。そして迎えた2日。9回に高津(現ヤクルト監督)から右翼席へ弾丸ライナーで飛び込む記念すべきプロ1号を放った。松井は1年目に11本の本塁打をマーク。通算では巨人で332本、メジャーリーグで175本と計507本塁打を放った。

翌3日の日刊スポーツはもちろん1面トップで報じた。

【復刻記事】

出た! ゴジラの逆襲一発、プロ初アーチだ。9回裏2死一塁。ライトスタンドにめり込むような時速170キロの弾丸ライナー。それも併殺崩れでめぐってきた「おまけ」の第4打席、ここでファン期待のホームラン、これもゴジラの強運か。荒木との新旧甲子園アイドル対決には精彩を欠いたが、ピタリとフィニッシュを決めるあたり、さすがッ-。

揺れた。東京ドームが、ゴジラのひと振りで大きく揺れた。だれもが「アッ」と叫んだその瞬間。グシャッとつぶれたような松井独特の打球音が、大歓声でもみ消された。その直後、はじけた白球が右翼席中段に消えた。その時午後9時7分4秒。

すさまじかった。内角からやや真ん中へ流れる低めの直球。「甘いコースだったんじゃないですか? 打った瞬間、入ると思いました」。まさに一直線の打球。だが、松井は淡々とダイヤモンドを回った。試合後の第一声は「負けちゃったァ」。熱狂するスタンドとは裏腹に、勝負にこだわった。前日1日、衝撃の二塁打デビューを飾ったばかり。だが、この打席まで2打数無安打1四球。甲子園の先輩スター、荒木の執ようなまでの内角攻めに、鳴りを潜めたままだった。運もあった。9回2死。本来なら、回ってこないはずの打席だった。だが、6番駒田が併殺崩れで一塁に残った。「狙った? いや、次の大久保さんまで回せば、何かあるかな、と思って」。しかし「何かあった」のは松井自身の打席だった。

試合には負けたが、ヤクルトバッテリーとの対決には勝った。野村ヤクルトの狙いは、松井の「内角直球」テスト。「意識はしなかったですが、フルスイングできました」。したたかな松井対策に、強烈なパンチを見舞った。

かつて、松井は言った。「ベース一周がボクのステージなんです」。本塁打を打てば、試合が止まる。そして自分の走る姿に、視線が集まる。それが松井の快感だった。高校3年間で築き上げた60号もその結果だった。プロ入りしたとき、最初に挙げた欲しいタイトルは、ズバリ「本塁打王」。「打っちゃったよ、打っちゃった」。ドーム地下2階の通路で、ポロリと漏らしたひと言が、本塁打にとりつかれた松井の本音だった。

ベンチ前で、最後に松井を抱きかかえたメジャーのキング、バーフィールドが言った。「きょうは記念すべきホームランになるだろう。彼の野球人生の第一歩だよ」。同じ長距離打者にしか分からない感覚。松井には、間違いなくその感覚があった。

帰り際、スリッパのまま帰ろうとする、おっちょこちょいな18歳。記念ボールを差し出されたが、「あした(3日)でいいです」と言ってのけた。記念ボールなど、気にしないのも大物のあかし。松井の目の前に、将来のキングへの道が開けた。

▼松井がプロ入り2試合、7打席目で初本塁打。巨人の高校出ルーキーが本塁打を記録したのは1966年(昭41)堀内、林以来27年ぶりだ。過去、高校出新人で2ケタ本塁打を記録した選手は5人。初本塁打は86年清原(西武=31本)が1試合目、53年豊田(西鉄=27本)が3試合目、55年榎本(毎日=16本)が4試合目、59年張本(東映=13本)が2試合目、52年中西(西鉄=12本)が16試合目にそれぞれ記録。27本の豊田よりは1試合早い1号となった。

※記録は当時のもの

◆松井の父昌雄さん(石川県能美郡根上町の自宅でテレビ観戦)ジックリとボールを見極めていたのでヒットくらいは打てるかな、と思ったんですが、ホームランとはビックリしました。最終回に秀喜にまで回してくれた先輩の皆さんのおかげですね。そのうち、落ち着いたら東京に行って応援したいと思ってます。これから近所の方と一緒に、おすしでお祝いするんです。

◆星稜・山下智茂監督(石川県金沢市の自宅でテレビ観戦)内角を攻められていたんで次も内角に来たらホームランを打つよ、と息子に予告したらホントに打ってくれました。あそこは松井の好きなコースなんです。すごいホームランでしたね。

◆中畑打撃コーチ 第1打席で、オープン戦の悪い時期に戻る寸前になっていたから、アドバイスした。それにしてもすごい当たりだったね。アイツには技術以上のものがある。ただもんじゃない。光あるものを残してくれたよ。

<長嶋監督は…>

負けた。でも魅せた。初の3連勝は逃しても、長嶋監督は笑みさえ浮かべている。「(試合は)クロスに見えたけど内容はワンサイド。こういう日もありますよ。松井の当たりは最高だったね。あれで満足しなければいかんね、今日は」。初アーチの瞬間、ベンチから身を乗り出して「打った、打った」と手をたたいて喜んだ。負けても最後までハラハラさせる野球。そしてファンに感動と期待を与えられたことが、気持ちを華やかにさせた。

試合前、いつになく冗舌だった。「(松井は)やはり運を持っているんですね。直前になってバーフィールドが不調を訴えなかったら、代打だったでしょうから」。長嶋監督を感心させたのは、運だけではない。長嶋監督はひとつの確信を抱き続けている。それは「ファンの応援をエネルギーに変えていく」ということ。松井の活躍に引っ張られた前日1日の大逆転シーンを目の当たりにして、長嶋監督は改めてその思いを強くした。

「あのアナウンス(松井先発発表)からスタンドは大いに沸きましたね。以心伝心というか、スタンドからの“風”を受けてそれを力に変えていくのがベースボールですね」。風、という独特の表現で長嶋監督は説明する。現役時代、その見えない風を体内に取り入れ、エネルギーに転化して数々のスーパープレーを演じてきた。だからこそ「大きな風」を起こさせる可能性を秘めた松井に熱い視線を送り続けているのだ。

ただしこの日は「風」の吹き出しがちょっと遅かった。それでも「同じ負けでも最後に1本出たからね。明日につながりますよ」と3日からの首位広島戦につながると見ている。「打順ですか? まだ下で気楽に打たせたいね」。明言はしないが、今日以降も松井先発をさせたい心情がにじみ出る。「楽しみはできた、あした、あした」と帰りの車に乗り込んだ長嶋監督。どんな「風」が吹くか。5月、薫風の季節―。

<打たれたヤクルト高津は…>

プロ3年目で初セーブを挙げた高津は、試合後「そりゃ、うれしいですよ」と言いながら口をとがらせた。まるで敗戦投手の不機嫌さだ。今後の松井対策という考えがあったにせよ、最後に松井に2ラン。「真っすぐが、真ん中にいった。打ちますよね、甘いところにいったら」。しかし、この一発は別にしてこの日の内容は価値あるものだった。6回1死一、三塁で荒木を救援。原を三振に仕留め、岡崎を二塁ゴロに打ち取りピンチを脱した。

<ヤクルト野村監督は…>

ID監督のしたたかさが見え隠れする。松井への一発献上。野村ヤクルトにとっては、計算ずくの出来事だった。4連敗を逃れたヤクルトベンチ前、がい旋するナインの出迎えを終えた野村監督は、意味ありげに笑みを浮かべながら言った。「(松井の一発は)すごい当たりだったな。まさにゴジラ打法だな」。そのまま立ち止まりもせず、自チームの勝利には一言も触れずにベンチ裏へ。そしてロッカールームに入り際、小さくつぶやいた。「追加点があったから、あそこへ投げさせたんだ。試しに行かせてみたんだ」。

9回表の4点目で勝利を確信した野村監督は、その裏、守りに向かう捕手の古田に指令を発していた。「松井に内角ストレートを試してみろ」。今後も続く長い戦いへの布石を打つべく、怪物ルーキーの実力チェックに出たのだった。先発の荒木は、変化球主体でゴジラ料理を完了した。そこで今度は、高津に意識的に力の勝負を挑ませた。その結果、プロ初アーチのプレゼントと交換に、絶対に投げてはいけないコースを、しっかりと手土産に持ち帰った。

先制の1号3ランを放ち、打のヒーローとなった古田も、自らの本塁打については「入るとは思わなかった。ドームの風でしょう」と照れただけで、頭の中は今後の松井対策ばかりが充満していた。「内角ストレートを試してみろ、と言われたんですよ。すごくホームベースに近く立つから内角を攻めてるんですが、その場でクルッと体を回転させて打つ」と、ゴジラ打法の特徴を分析。最後は「だから、あの打球もファウルになるかな、と思ったけど切れなかった。(松井は)かなり打ちますよ。これから穴を探さなきゃ」とニヤつきながら引き揚げていった。

あえて打たれた一発だっただけにショックはない。しかし裏を返せば、それだけ松井の底知れぬ力にヤクルトサイドが要警戒マークをつけたこともまた事実だろう。帰り際の野村監督は、ロッカールームの出口で待ち受ける報道陣を一べつ。「どうせ松井のことを聞きたいんだろ? 絶対に何もしゃべらん」と黙秘を決め込んだ。プロ初アーチというビッグなプレゼントと交換に、しっかりデータがインプットされたIDコンピューターが、どんな「松井攻略法」をはじき出すのか。次回の対決も、また目が離せない。