矢野阪神、2年目のマネジメントに「喝」!。矢野阪神が終戦を迎えた。貯金5で2位というチーム成績ながら、一度もし烈な優勝争いを演じることなく幕を閉じた。独走した巨人との差は何だったのか。選手個々の数字は決して、巨人独走ではない。となれば…35年前のこの日、阪神日本一を現場で取材した元トラ番で元大阪・和泉市長の井坂善行氏(65)は、「マネジメントの差に尽きる。それは矢野監督、球団に共通した弱点」と指摘する。

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年齢とともに涙腺が弱くなってくるのは、同年代の人と共有する話題の1つである。そんな中、もう10年以上になるだろうか、ドラフト会議当日に放送されるドラフト特番の「お母さんありがとう」には、毎年毎年泣かされる。

制作スタッフの早い段階からのドラフト情報の聞き込み、地道な取材、指名される側に寄り添った目線…そして、母と息子の絆。ドラマ仕立ての映像を織り交ぜながら、指名直後のインタビューもあれば、年によっては待ち望んだ指名がなかった選手の悔しい言葉を聞いたこともある。

記憶に残る選手もいる。私の記憶に残っているのは、今や中日、いや巨人・菅野とともに日本のエースと呼ばれる大野雄大である。佛教大からドラフト1位で中日に指名された時、母子家庭で経済的に厳しい環境で育ってきたことが取り上げられていた。「苦労かけたお母さんを安心させたい」という抱負を鮮明に覚えている。堂々とFA宣言して、好条件をつかみ取って欲しい。小さいころから阪神ファンとも放送されていた。FAでの阪神入り、かなわぬ夢なのだろうか。

◆井坂善行(いさか・よしゆき)1955年(昭30)2月22日生まれ。PL学園(硬式野球部)、追手門学院大を経て、77年日刊スポーツ新聞社入社。阪急、阪神、近鉄、パ・リーグキャップ、遊軍記者を担当後、プロ野球デスク。阪神の日本一、近鉄の10・19、南海と阪急の身売りなど、在阪球団の激動期に第一線記者として活躍した。92年大阪・和泉市議選出馬のため退社。市議在任中は市議会議長、近畿市議会議長会会長などを歴任し、05年和泉市長に初当選、1期4年務めた。現在は不動産、経営コンサルタント業。PL学園硬式野球部OB会幹事。