4球団競合の末に、ドラフト1位で近大・佐藤輝明内野手(21)が阪神に入団した。日刊スポーツでは誕生から、プロ入りまでの歩みを「佐藤輝ける成長の軌跡」と題し、10回連載でお届けします。【取材・構成=奥田隼人】

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阪神ドラフト1位の近大・佐藤輝明内野手(21)は、名将との出会いでプロ入りの道が開いた。

輝明は仁川学院2年時から、野球進学を目指して関西の強豪大学のセレクションを複数受験した。ある大学では1人だけ柵越えを連発するも、チーム実績などもあって不合格となった。

進学先が決まらないまま日は過ぎ、3年の6月。最後の希望がつながった。野球部を長く指揮した3代前の監督で、当時は事務局で働いていた馬場弘行(66)が、近大野球部監督の田中秀昌(63)に電話をかけた。馬場は近大OBでもあり、田中が上宮高で監督をしている頃から付き合いがあった。その一報がきっかけで、輝明は近大の練習に捕手として参加することになった。

二塁送球は1秒8とプロ並みの数字を記録し、内外野を守れる器用さも売りだった。しかし、一番のセールスポイントは何と言っても豪快な打撃。屋外グラウンドで飛距離などパワーをアピールしたかったが、当日はあいにくの雨。打撃練習は室内練習場で行われた。仁川学院の当時の監督、中尾和光(41)は「室内だったので、飛距離を見てもらえない。もったいないと思った。でもそこは、田中監督の選手を見る目。『どこの高校出身や』ということではなく、ちゃんと選手を見てくださった」と振り返る。

田中は上宮高のコーチ、監督時代に教えた元木大介や黒田博樹ら数多くのプロ野球選手を輩出してきた。田中は目の当たりにした輝明のファーストスイングで受けた衝撃を今でも覚えている。「ワンスイングでこいつはすごいと。ヘッドスピードが速いし、パワーがあった。絶対にプロに行くと思いました。二岡の(リーグ本塁打)記録も超えると思いましたね」。すでに野球部の新入生推薦枠は埋まっていたが、田中は輝明のために近大短大入学の特別枠を確保。短大から大学に編入する異例のルートを進むことになった。

高校3年夏の兵庫県大会は、4番で2安打を放つも1回戦コールド負け。3年間、甲子園出場どころか脚光を浴びることはなかった。それでも、その素材に目を付けていた阪神スカウトは12球団で唯一、輝明の最後の公式戦に足を運んでいた。恵まれた体格や可能性あふれるセンスから育成選手でドラフト指名する可能性もあったが、進学が決まっていたことから4年間の成長を待つことになった。(敬称略、つづく)