阪神ドラフト1位佐藤輝明(22)がプロ1年目から驚異的な飛距離で球界を席巻している。規格外のパワーの源は柔道家の父から受け継いだ身体能力にあった。

父博信さん(53)は、五輪を目指したほどの柔道家だった。日体大では3月に若くして亡くなった92年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦さんと同学年のチームメートだった。「身近にいた五輪のスーパースターだったが、優しかった。人間的な部分を見て俺も五輪を目指そうと思わせてくれる存在でした」。五輪には届かなかったが、卒業後の91年講道館杯では博信さん(当時大産大助手)が86㌔級で初優勝。日体大大学院だった古賀さんは71㌔級で4連覇した。

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「僕のことがパワプロの輝の紹介時に載っているんですよ。これいるかな」と笑いながら画像を見せてくれた。コナミの人気テレビゲーム「実況パワフルプロ野球」の21年最新版に佐藤輝も登場。「柔道家の父を持つ、ドラフト1位。受け継がれし強靱な肉体は…」と紹介されている。187㌢、94㌔と大きな体ながら50㍍を6秒0で走る怪物ルーキーを語る上で、博信さんの存在は欠かせない。

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博信さんは宮城県柴田郡村田町出身。佐藤輝の祖父勲さん(81)は野球が大好きで近所に野球チームをつくったほど。1974年(昭49)に沼辺少年野球クラブを結成して初代監督に。博信さんも同チームで野球を始めた。勲さんは監督から退いていたが、長身エースだった博信さんはチームスポーツには向いていないと柔道に専念した。

博信さんは仙台育英3年時に全国総体出場、東北王者にも2度輝くなど「黄金期」を築いた。身長184センチと体にも恵まれ、日体大では86キロ級で、2年時にチェコ国際優勝、4年時には正力杯2位。副主将も務め、主将の古賀さんと名門を引っ張った。卒業後、大産大で勤務するため関西へ。その後、関学大に勤務(現在は人間福祉学部准教授)し、兵庫・西宮に住むようになった。佐藤輝も阪神タイガースの地元で幼少期から過ごすこととなる。

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佐藤輝は小学生時代から地元では有名な野球少年となった。だが「甲東ブルーサンダース」に所属していた小6の秋に右肘を壊した。博信さんは「壊したのは僕の責任。(当時の)監督に『なんぼでも投げさせてください』と言ったんです。右肩を痛めた4月にすでに肘に負担が来ていた」と後悔しながら話す。中学2年までノースローの日々。中学から硬式の強豪チームで本格的に野球をするはずだった佐藤輝は、甲陵中の軟式野球部へ。高校も甲子園出場が1度もない実家近くの仁川学院へ進学した。博信さんは「今となっては、あのときそのまま強豪チームに行っていたらどうなっていたのかとは思いますね」と、4球団が競合した怪物ルーキーになるには、肘の回復を待ち、伸び伸びとプレーできる環境がよかったと思っている。

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佐藤輝は「僕の経験があったから、それが今、弟に生かされていますよ」とケロリと話す。三男悠君は小5で同じ「甲東ブルーサンダース」で投手。博信さんも肩、肘にケアし、活躍している。博信さんは近大時代、佐藤輝の打席の動画を撮り、本人に送っていた。アスリート同士、プロとして活躍する今も野球談議をする。

博信さんは「本当に今が一番楽しい。幸せですよ。3人とも頑張ってくれてますから」。関学大3年の次男太紀(たいき)内野手は大型三塁手として期待される存在。悠君も頑張っている。3兄弟を育てた母晶子さん(48)は身長168㌢と長身。「背の大きさは譲れたかな」と笑う。高校時代、佐藤輝は自室から勉強机を出し、筋力トレーニング機器を置いた。理解ある両親に見守られて育った佐藤輝は、横浜スタジアムで場外弾を放つなど、虎党だけでなく全国のプロ野球ファンが、その打席に注目される存在となった。【石橋隆雄】

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