決意の日本復帰から約3カ月。楽天田中将大投手(32)が杜(もり)の都で、節目の1勝を積み重ねた。13年11月3日、巨人との日本シリーズ第7戦以来8年ぶりの本拠地登板で西武打線を6回68球3安打1失点。故障から復帰2戦目で今季初勝利を挙げ、日本通算100勝を達成した。駒大苫小牧時代に監督として田中将を指導した香田誉士史氏(50)は現在、社会人野球・西部ガスの監督を務めている。8年ぶりに楽天へ復帰し、日本通算100勝を達成したマー君へ祝福の手紙を寄せた。

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楽天の入団会見の前に、1年ぶりくらいに着信が入っていた。「おぉ、久しぶり。どした?…将大」と言ったら「ご無沙汰しています。楽天の方にお世話になることになりました」と返された。寝耳に水だったので、びっくりした。

当時のことにすがる気持ちはないけど周囲から「戻ってきてくれて、本当にすごい男だよね」と言われる。今は関係ないはず。だけど「苫小牧の時の監督がよかったから」と評価をしてくれる。決して「育てましたよ」と言うつもりもない。だけど、将大の持っているもので我々も他の同級生たちも、世間の評価は上がっている。君がもたらしてくれているものだと思う。

最初に会ったのは伊丹かな。甲子園に行った時(03年春)の練習見学に来ていた。非常に芯の強そうなまじめな子だなと。(中学の)宝塚ボーイズから一緒に来ていた子の腰パンを「お前あげとけや」と注意していて「へー、そういうところもあるんだな」と。

1年生の時は学校にお願いをして、将大のクラスの担任をさせてもらった。校則違反も授業での注意もない。みんなから「将大、将大」と好かれていた。ふざけていいかどうか、空気感を察する。「マー君って人を引きつけちゃうよね」と愛されていたね。

今の言葉で言えば「持ってる」。ピンチの場面で「将大、ごめん」と思って出しても打たれた記憶がほとんどない。3年夏の甲子園準決勝前日も体調が悪かった。「どうだ?大丈夫か」と聞いたら「大丈夫です。打たれる気はしません」と。「相手は智弁和歌山さん。お前の対策をものすごくしてきてるぞ」と言っても「マシンと僕の球は違うので。打たれないです」と返してきた。そしたらちゃんと勝つ。楽天で野村(克也)さんが「マー君 神の子 不思議な子」と言っていたけど、いやもう本当にずっと高校の時から続いていて「いや、それわかる」って思ってた。

当時はまだドラフトで希望枠があった。「行きたい球団があるなら社会人、大学なりに行って、その時でもプロの方々がそういう存在だと見てもらえた時に自分で決めなさい」と言った記憶はある。それでも「どこでもお世話になりたいです」と迷いはなかった。

正直楽天さんから1位で指名されて「いやー、1位なんだ」と思った。プロは甘くはない。だからこちら側としては契約金、年俸だとかお金の管理はちゃんとして「契約金は退職金なんだからな」「いつどうなるか分からないんだぞ」「ポキっといったら終わりの世界だからな」と言った。路頭に迷わないように、引退後に球団で働ければいいなと心配していた。

正直、こんなにすごい投手になるとは思ってなかった。背番号18をもらう時も「エース番号をもらって大丈夫か? もうちょっと大きい番号の方がいいんじゃないの?」と言ったら「18がいいです」と。こちら側の心配はよそにという感じだった。今も高校の時と同じように「将大、頑張れ頑張れ」「今年は大丈夫かな」と毎回心配してしまう。

今回は期待されて楽天さんに戻ってきた。やっぱり「田中将大だな」という数字を残してほしいし、残してくれると思う。引退してからの方が人生は長い。解説者、監督、コーチ、フロントとかにしても絶対に人間というのが大事。愛されて、愛される人間になってほしい。それをそのままずっと続けてくれれば、これ以上ない喜びだね。

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