小柄な体格だからこそ、日本で学ぶことが多かった。グレッグ・ラロッカ氏(42)は広島、ヤクルト、オリックスの3球団で計583試合に出場した。帰国後はフィットネスビジネスで手広く事業を展開する。「あの助っ人たちの今」第3回は、万能内野手が日本滞在7年間で得た成功へのヒントを明かします。

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ラロッカ氏が日本に初めて降り立ったのは忘れもしない、04年2月1日のことだった。1月31日に結婚式を挙げ、1週間のハネムーン旅行を楽しんでから日本に行く予定だったが、広島から「それは許可できない。キャンプに間に合うように来てくれ」と言われ、慌てて旅行をキャンセルし結婚式も変更。米国人にとって家庭優先は当たり前なので、これが許されない日本は「一体どんな国なんだ」と最初は不安になった。

ところが山本浩二監督と対面すると、そんな不安は一気に吹っ飛んだ。「コウジさんは他の監督とはまったく違った。大抵の監督は寡黙で厳格な雰囲気だけど、彼は一生懸命に英語を覚えてコミュニケーションを取ってくれた」。最初に、ラロッカ氏を含めた新外国人選手を食事に連れて行ったという。実はこれが、その後の人生に大きな影響を及ぼした。「神戸ビーフを食べさせてくれたんだ。肉を取り分けて、どんどん食えと。そんなことをしてくれる監督は他にいないし、あんなうまい牛も初めて食べた。ショッキングだったんだ。こんな牛が世の中にあったのかってね。あの神戸ビーフで、僕は和食に開眼したんだよ」。

同氏は現在、フィットネスプログラムの開発と販売、ジム経営で大きな成功をつかみつつある。このプログラムがエクササイズ、ウエートトレーニング、食事をきめ細かく科学的に分析した最先端のもので、米国内で静かなブームになっているのだ。同プログラムの食事メニューのヒントになったのが、神戸牛から始まった和食体験だった。

ラロッカ氏 日本の食文化との出合いは、まさに目からウロコ。米国で太りすぎの人が50~60人いるとしたら、日本には2人くらいしかいない感覚。食文化にあまりにも差がある。しかも、米国人の多くは、自分が何を食べるべきかまったく分かっていない。だから、自分がなりたい体に合わせて細かく食事メニューを提案するプログラムがウケるんだよ。

同氏の開発したプログラムは現在、ゴールドジムなどの大手も含め全米約40カ所で導入されている。ボストン郊外には小さな女性専用ジムをオープンさせ、一時は不況で苦しい状態が続いたが、小規模ジムのブームもあって、経営は軌道に乗った。起業家としての才能も発揮し、今は第2の人生を楽しんでいる。【水次祥子】

◆グレッグ・ラロッカ 1972年11月10日、米ニューヨーク州生まれ。00~03年にパドレス、インディアンスでプレーしメジャー通算39試合に出場。広島1年目に打率3割2分8厘、40本塁打、101打点と活躍。日本の7年間でリーグ最多死球を3度記録する「死球王」でもあった。現在はインタグリティというフィットネスの会社を経営し、オリックスの在米スカウトも務めている。