阪神・淡路大震災の直後に来日し、厳しい生活に直面しながらも日本にとどまった。元オリックスのダグ・ジェニングス氏(50)は「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝を飾り、翌年には日本一を勝ち取った。あれから20年-。「あの助っ人たちの今」第4回は、“兄弟分”のイチロー(マーリンズ)と再会を果たした「D・J」です。

1995年1月17日、米国の自宅で荷造りをしている最中に、阪神・淡路大震災をニュースで知った。すでにオリックスと契約を結んでいたジェニングス氏は、日本行きをやめるという選択肢は頭になかったという。行けば何とかなるだろうと思っていた。

だが、被災地の状況は想像以上だった。「自分の目で見たとき、胸が張り裂ける思いだった。僕と、同期入団の(トロイ・)ニールは最初、三宮のマンションに住んだけど、全半壊した建物の撤去作業で空気が汚れ、住環境は良くなかった」。間もなく六甲アイランドに引っ越したが、ニール氏と一緒に「頑張ろう」と励まし合い、神戸から離れなかった。

苦労を分かち合ったからこそ、当時のチームメートとの絆は強い。ジェニングス氏はその1人であるイチローと今年、約10年ぶりに再会した。現役引退後はマーリンズの本拠地に近いフロリダ州フォートローダーデールでアマチュア選手の指導を続け、偶然にも今季、イチローがマイアミにやって来た。再会した瞬間、どちらからともなく抱き合った。「僕にとってイチローは兄弟のような存在。ずいぶん英語がうまくなっていた。10年前のイチは、スペイン語の方が得意だったからね。今は英語で、言葉の壁は全然感じなかった」と顔をほころばせた。

ニール氏とは「今は連絡を取っていない」という。実はオリックス退団後のニール氏は、数奇な運命をたどった。離婚し、子供2人の養育費70万ドル(約8750万円)の支払い義務を怠ったとして逮捕を報じられた。その後和解し、南太平洋の島国であるバヌアツ共和国に移住。リゾートビジネスなどで成功していたが今年3月、巨大サイクロンに襲われた同国は壊滅的被害に。ニール氏も被災したのか、取材では消息が分からなかった。

当時の仰木彬監督は05年に他界し、知っている球団関係者もいなくなり、神戸もずいぶん変わった。それでもジェニングス氏は2年前、オリックスから始球式の招待を受け、迷わず再来日を決めた。顔なじみのファンと再会し、交際中の女性とともに懐かしい場所を訪ねた。そして夜景で有名な神戸の山でプロポーズし、昨年再婚した。「日本は第2の故郷だから」。20年の時を経て、心の中の神戸はさらに大きなものになっていた。【水次祥子】

◆ダグ・ジェニングス 1964年9月30日、米ジョージア州生まれ。88~93年にアスレチックスとカブスでプレーし、95年オリックス入団。登録名は「D・J」。1年目の7、8月に2カ月連続で月間MVPを獲得。96年は優勝を決めた9月23日の日本ハム戦9回に同点本塁打。延長10回のイチローのサヨナラ打につなげた。引退後は指導者として、アンソニー・リゾ内野手(カブス)らをメジャーに輩出。