中日、日本ハムで2204安打を放つなど活躍した大島康徳氏が6月30日に都内の病院で死去していたことが分かった。70歳だった。

「ふぐの肝はうまい」。大島さんから聞いた話で衝撃的だったのは、猛毒のふぐの内蔵を食べる話だった。なんでも大島さんの地元、大分では、無毒化したふぐがいるらしく、しっかりとした知識を持った人が扱うことで、危険はないのだという。「それでもたまにピリッとしたりして救急車で運ばれる人がいる」。そう言って笑っていた。

私が日本ハム担当をした01年は、チームの成績が振るわず、大島監督も苦心していた。胃を悪くしていたのだろう。それを隠すように、試合が終わるとブラックのホットコーヒーをすすりながら囲み取材に応じる毎日だった。打てない。守れない。必然的に監督としてみれば聞いて欲しくないネガティブなことも聞かざるを得なかった。

夏が過ぎ、連敗が込み、デスクから「監督に辞任するか聞いてこい」とむちゃぶりされた。さすがにそのまま聞くほど度胸はなく、靖国神社で買った「勝ち守」を持って自宅を訪ねた。花壇に水をあげていた大島監督は「なんだ!」と警戒感あらわにしてきた。だが「明日は勝ってください」とお守りを渡すと破顔一笑。辞める雰囲気はみじんもなかった。翌日の東京ドームの試合で勝った後、小声でお礼を言ってくれたが「連敗が止まってデスクにむちゃぶりされないで済む」と、こちらがお礼を言いたいぐらいだった。

監督を退任してからは、NHKの評論家としてキャンプ地などでお会いすることが多かった。ゴルフでホールインワンを2度やったことがあるという話や、よく連チャンするパチンコやパチスロのこと。さらには冒頭のふぐの肝の話。野球とは関係ない話の方が盛り上がった。話し上手な人。もっと、お話を聞きたかった。【01年日本ハム担当=竹内智信】