8月10日、今年もまた、球児の夏が開幕した。巨人小林誠司捕手(32)の脳裏には、あの夏の衝撃がよみがえる。佐賀北が頂点に立ち、高校野球史に残る「がばい旋風」が巻き起こった07年夏の甲子園。広陵-佐賀北の決勝戦は、広陵のマスクをかぶった小林に非情な結果を突きつけた。 今でも焼き付く14年前の記憶を紐解き、当時を振り返った。【久保賢吾】(後編は無料会員登録で読むことができます)【前編はコチラ】>>

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「何であそこでスローボールにしたんやろってことはずっと思ってます。忘れられませんね、あの1球だけは」と言った。8回1死、8番久保貴大に逆転の口火となる左前打を浴びた。打たれたのは、この日初めて投げた98キロのスローボールだった。

「夏の大会前から練習してたボールなんです。『やっぱり、緩急やな』という話になって。遅いボールって、ホームランにするのが難しいじゃないですか。反発しないんで」

スローボールは、夏を勝ち抜くための秘策だった。準決勝の常葉菊川(現常葉大菊川)との一戦。センバツ覇者を相手に効果を発揮し、4-3で勝利した。

「めちゃめちゃ、効いてたんです。いろいろ試したりしたんですけど、それがはまったのが常葉戦でした。だから、決勝でも使おうという話になって」

8回1死まで、1安打無失点、11奪三振の快投だった。迎えた久保への初球はカーブでボール。2球目のスローボールを痛打された。打席前の時点で12打数無安打で、大会初安打だった。「(4番の)市丸君とか、副島君とか、長打のあるバッターじゃなくて、何であの時に久保君に使ったんやろなと。それだけは悔いが残っています」。

逆転された後、ぼうぜんとする中で、試合終了のサイレンが鳴った。グラウンドで、宿舎で、涙がボロボロとこぼれ落ちた。現実を受け止めきれず、失意の中で広島に戻った。中井哲之監督とともに、広陵のグラウンドを眺めながら、また全員で泣いた。

同じ日、選手だけのミーティングが開かれた。この悔しさとどう向き合っていくか。発される言葉は熱を帯びた。

「甲子園の決勝で悔しい負け方をしたけど、これからの人生では優勝できるような人生を歩んでいこうと。悔しいけど、やってきたことは絶対に間違ってないし、今後の人生をもっと輝かせていけるように頑張っていこうと。準優勝で良かったと思えるような準優勝にしようと」

高校を卒業後、野村祐輔は明大を経て、広島にドラフト1位で入団した。主将を務めた三塁手の土生翔平は早大を経て、ドラフト4位で広島に入団。小林は同大、日本生命を経て、ドラフト1位で巨人に入団した。異なる環境で、プロ入りの夢をかなえたのは、準優勝の悔しさがあったからだった。

「あそこで負けたから、大学ではもっと頑張ろうと思ったし、別々の大学に行って、あいつも頑張ってるからオレも頑張ろうと思ってやってこられた。みんなそうだと思います」

忘れられないシーンがある。佐賀北との決勝戦の8回、甲子園球場が揺れ、野球人生で初めてグラウンドで恐怖を感じた。地鳴りのように響き渡る歓声、熱気は小林の胸に深く刻み込まれた。

「広陵のアルプス席を除いて、グワーってスタンドが揺れてたんです。1対9という感じ。孤独でしたね。頭を揺らされてるような感覚で、冷静ではいられなかった。あんな経験はあの1回だけです」

激闘から約半年後。卒業式の日に中井監督のもとを訪れ、感謝の思いを伝えた。力強く握手をかわし「大学に行って、キャプテンを任されるような人間になれば、キャッチャーとしても成長できると思うから。頑張れよ」と激励された。同大では1年春からリーグ戦に出場。監督との約束通り、4年時は主将を務めた。

悔し涙で終わった高校野球生活だったが、高校野球への思いはあの時からずっと変わらない。甲子園のシーズンが訪れる度に、胸はワクワクし、気持ちが引き締まる。

「僕の野球の原点ですね。ハツラツとしてますし、楽しそうじゃないですか。もちろん、真剣勝負なんですけど、こういうのが楽しいよなとか、悔しいよなとか、それをひっくるめて、野球の楽しさを感じられる。そういう気持ちは忘れたらあかんな、僕も頑張ろうって思います」

あの衝撃的な敗戦から、広陵ナインは心身ともに成長を遂げ、それぞれのフィールドで奮闘する。

「野球をしてる人も、してない人も、みんな頑張ってますよ。今となってはあの時、準優勝で良かったなって話をしたりもします。逆に、いろんな話をしてもらえて、会った人に『あの時の』とか言ってもらったりするので、頑張らんとあかんなと思えますから」

勝負事に「たら、れば」はない。それは百も承知で小林に聞いた。「もし、14年前の決勝戦に戻れるとしたら?」。

「ん~…。でも、1つ、断言できることはあります。また、広陵高校で野球がやりたいです。同じメンバーで、もう1回野球がしたいです」。【久保賢吾】