周囲の喧騒は、まったく目に入っていなかった。ヤクルト高津臣吾監督は腕組みしたまま、一点をずっと見詰めていた。

12日の巨人とのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ第3戦の2回1死、先発原の右手親指付近に大城のライナーが直撃した。その場に倒れ込み、もん絶し、ベンチ裏へと引き揚げられるアクシデント。状態は? 緊急登板の投手の準備は? バックネット裏の記者席にも、ヤクルトベンチのパニックに近い慌ただしさは伝わってきた。

だが、指揮官は椅子に腰を下ろしたまま、険しい表情を変えなかった。金久保の登板準備が整うと、ようやく腰を上げて交代を告げた。沈思黙考。頭の中も胸の内も、まったく読めなかった。

7年前と同じだった。

2014年、ヤクルトに復帰初年度となった1軍投手コーチ時代を担当した。テレビの画面越しに見ていた、アフロのカツラを被ってクリスタルキングの「大都会」を熱唱していた現役時代の印象そのもの。明るくて気さくで、わかりやすい言葉を用いる、話しやすいコーチだった。だが、目の奥は笑っていないようにも感じていた。奥底では常に「何か」を考え続けているように思えた。尋ねてみた。答えはこうだった。

「どうやったら勝てるか。いつもそれを一番に考えてるよね」

現役時代は5回までロッカー室で試合を見て、7回からブルペンで肩を作った。そこまで仲間と話をしていても、軽食をとっていても、常に「どうやったら勝てるか」を考えていた。

「野球を見るのは好きだから。現役の時は、どうやって芯を外すかとか、ゴロを打たそうかとか。高低左右だけじゃなくて、『0・5秒遅く、バットに当てさせるには』とか、バッターまでの時間をどう使うかも考えていたかな」

勝利への渇望と論理的思考に基づく観察眼を、陽気さと気さくさの内側にずっと忍ばせていた。すべてを見透かされているのでは―。(続きは無料会員登録で読むことができます)

取材前はいつも、どことなく勝手な緊張感を抱えることになった。取材には常に丁寧かつ明確な言葉で対応してくれた。だが、まっすぐ取材相手を見つめる視線に、こちらの思惑はお見通しなのではないかという気にさせられた。その目は心と頭の奥の奥、先の先を見据えているようだった。

巨人戦のベンチに鎮座していた時も、きっと同じだったのだろう。原への心配はもちろんあった。すぐにでも駆け寄って、声を掛けたいという愛情を持っていたのは間違いないと思う。だが、動かなかった。自分の欲を制し、次の一手に集中した。金久保の緊急登板の準備が整うのを待ちながら、その先の展開を何度も頭で繰り返していたと思う。

前年度は借金26の最下位に沈んでいたヤクルトのコーチに就任した当時、高津監督はこうも話していた。

「プロですから勝たないとおもしろくない。勝つ味をちょっと忘れかけていると思うので、僕一人の力でどうこうなるとは思わないけど、小さい力かもしれないけど、少しでも貢献できたらいいな。困難な問題とかに立ち向かう自分というのは決して嫌いじゃない」

現役時代はヤクルトで日本一を4度も経験した。黄金時代の重圧を仲間と乗り越え、勝つことで得られる喜びを知った。勝つことでしか、全員が幸せになれない世界だと知った。この試合を制することでしか、原の無念は晴らせないと分かっていた。結果は引き分けだったが、日本シリーズ進出を無敗で決めた。巨人担当として見た高津監督は、ぎらついた勝負師に磨きがかかっていた。

27日の日本シリーズ第6戦、肌寒いほっともっと神戸で10度、夜空に舞った。オリックスとの前回対戦だった95年の日本シリーズ。守護神として第1戦でセーブを挙げて日本一への幕を開けた場所で、指揮官として日本一として1年の幕を閉じた。同一リーグの他球団を担当する記者として、かつて担当した記者として、高津監督率いるヤクルトに、心から敬意を贈りたい。【13~14年、18年ヤクルト担当、現巨人担当=浜本卓也】