日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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それは郷愁に駆られる知らせだった。阪神2軍が春季キャンプ地を高知県安芸市から沖縄・うるま市に変更する。すでに1軍は沖縄に移っていたが、若虎は高知にとどまっていた。

日本一監督の吉田義男は「これで高知と縁が切れるんですね。大いに寂しいです」ともらした。「残念」ではなく「寂しい」と表現した一言に、長年阪神を支えたOBを代表する功労者の気持ちがにじむ。

かつて安芸市役所職員で、キャンプ担当の森田修一(78)は「市長から聞きました。2月の沖縄は雨が多いと聞いたから、いつか1軍だって帰ってきてくれるかもしれんから用意しとけよと後輩に話していたんですが」と肩を落とす。

安芸キャンプの歴史は、阪神の歴史といえる。森田は「田淵(幸一)がレフト後方の山に打ち込んだのは衝撃的でした。掛布もすごかったが、あの田淵のホームランは忘れられん」と語り続けた。

先輩記者から伝え聞いた江川卓との電撃トレードで移籍した“小林フィーバー”は安芸の伝説だろう。市営球場に向かう高知市内から室戸市内に通じる国道55号線が、連日数十キロにわたって渋滞したという。

野村克也の監督就任で東京からもメディアが現地入り、星野仙一のキャンプではミスター長嶋茂雄の電撃訪問で話題をさらった。記者にとっては、新庄剛志と太平洋を望みながら恋愛論を交わしたのもスイートメモリーだ。

番記者としてメインとサブグラウンドを結んだ88段もの階段の行き来は筋肉痛の毎日だった。その疲労をいやしてくれたのは、ささやかな安芸のネオン街と人情だったかもしれない。

地元も他球団が宮崎、沖縄にキャンプ地を変更する流れに「阪神に逃げられるぞ」と危機感をつのらせた。プレハブ小屋の打撃練習場から、エアドーム、鉄筋の室内練習場建設に踏み切ったがかなわなかった。

チームと同じように栄光と挫折を知り尽くす森田は「でもやっぱり優勝ってすごいですね。よっさん(吉田氏)が日本一になった翌年(86年)の集客ぶりは今でも安芸の奇跡になっています」と振り返った。

その吉田は本紙評論家として優勝した当時の宿舎だったホテル前の坂道にできる金柑を口にするのが恒例だった。たわわな実に「甘酸っぱくていい味に育っています。今年は勝てますよ」とつぶやいたものだ。秋季キャンプは引き続き安芸で行われるとはいえ、春の撤退でそんなタテジマの歴史に1つの区切りがつけられた。(敬称略)