背番号55。日本の野球人にとって、大いなる頂を表す番号。王貞治がシーズン55本塁打を放った64年以降、王超えを目標に松井秀喜ら多くのスラッガーが、この畏敬の数字を背負ってきた。村上宗隆も、またその1人だった。村上が記録を更新すれば、また新たな数字が頂点の象徴となるかもしれない。背番号55を担った男たちの物語に、1つの節目が刻まれた。

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ヤクルトの“先々代”の「55」が現在1軍マネジャーを務める野口祥順氏(41)だ。背番号は複数の候補の中から自ら選択。「(巨人)松井さんのようになりたい思いもありましたし『5』が好きな数字だったので。当時は土橋(勝征)さんがつけていたので、2つ並んだ『55』をいただいた形です」という。

高校通算30本塁打の長打力が自慢だったが、入団当初から苦しんだ。「1年目、2年目と壁に当たって全然結果が出なかった。3年目にバットを短く持って、何とか1軍に上がれました」。苦労の末に昇格を果たすと、02年9月13日横浜戦で千葉から「プロ初打席初本塁打」の鮮烈なデビューを飾る。「打った瞬間ファウルと思ったんですけど(風で)戻ってきた。今まで2軍でやってきたことが良かったなと思える初打席でした」と懐かしむ。

それから16年後の18年9月16日広島戦。同じく高卒ドラ1で「55」を背負う村上が「プロ初打席初本塁打」を放ったのも何かの縁か。「15年もつけさせていただいたので。村上の背中をグッと押せるように、という思いはあります」。裏方として後輩をしっかりと支えていく。【鈴木正章】

◆野口祥順(のぐち・よしゆき)1981年(昭56)5月16日生まれ、茨城県出身。藤代から99年ドラフト1位でヤクルト入団。デビュー戦の02年9月13日横浜戦で初打席初本塁打。14年現役引退。引退後は球団スタッフとなり、現在は1軍マネジャー。現役時代は185センチ、83キロ。右投げ右打ち。