元阪神で、現在はパーソナルトレーナーを務めている一二三慎太投手(30)が、打者3人から2三振を奪った。サイドスローから樋口(日本ハム)を空振り三振、片岡(日本ハム)を空振り三振、宮田(日本ハム)は四球だった。

真っすぐは主に120キロ台、スライダーは110キロ台だった。「肩が痛いという人が多くて、僕が手本を見せようと思った。NPB? 現役復帰とかまったく考えてなくて。そんなに甘い世界じゃない。周りの人に何らかの恩返しをしたかった。30歳になって、肩が痛くても、コンディション悪くても、支えてくれた人がいたので、表舞台に出て、姿を見せたいという気持ちが芽生えて、今日挑戦した」と挑戦理由を話した。

阪神のユニホームを着て、マウンドに立った。6年ぶりのNPB選手たちとの交流。「プロ野球選手って大きいなと思いました」と笑った。一時は「誰やねん」というぐらい太ったそうだが、しっかりと節制した。肩の手術を乗り越え、久々にファンの前で投球を披露した。

同投手は東海大相模のエースとして3年夏に甲子園準優勝。10年のドラフト2位で阪神に入団し、1年目の11年オフに打者に転向した。15年に育成契約。16年オフに1軍出場なしのまま戦力外通告された。

 

<一二三慎太のこれまで>

◆高校時代 東海大相模(神奈川)では3年春夏に甲子園出場し、夏は全5試合に先発。打撃でも打率5割7分1厘と投打で活躍し準優勝に貢献した。

◆ドラフト 10年2位で阪神に入団。打撃での評価も高かったが、投手として獲得。投手での登録となった。

◆野手転向 1年目の11年は右肩痛のため2軍戦登板もないまま終了。オフに野手転向を決意し、2年目から登録も外野手に変更された。

◆故障 入寮直前の11年1月に溶連菌感染症のためダウン。さらに、2月の春季キャンプ中に右肩痛を発症。13年7月には左足首を剥離骨折で長期離脱した。

◆育成契約 プロ5年目の15年まで1軍戦での出場はなく育成契約に。本人の希望で背番号は「123」となり再スタートを切った。

◆BC石川に派遣 16年3月29日からBCリーグ・石川に派遣。前期日程を終えた6月20日から阪神に復帰した。

◆戦力外 16年10月に阪神から戦力外を通告された。プロ通算6年で1軍戦の出場はなかった。

◆BC石川 17年からBC石川の練習生として活動。翌18年1月に自主退団した。

◆トライアウト受験 今年7月に自身のインスタグラムでトライアウトを受けることを報告。「ピッチャーとして入団したのに一度もマウンドに立てず、ブランクはあれどもう一度だけマウンドに立ちたかったため、この日のためにだけ全力を出し切ります」とつづった。